1990年代半ばから2000年代初頭の景気低迷期に就職活動を行った世代は“就職氷河期世代”、あるいはロストジェネレーションと呼ばれる。社会の犠牲になったと言っても過言ではない彼・彼女らは、それぞれどうやって厳しい時代を生き抜いてきたのだろうか。
今回の記事では、周囲からどれほど否定されても起業という夢を諦めなかった、シングルマザーの大津たまみさん(55)にスポットを当てる。離婚した女性への風当たりが今よりもずっと強かった時代に、不可能を可能に変えることができた理由とは――。詳しく話を伺った。(全3回の2回目/続きを読む)
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「お子さんを1人で育てながら働けるの?」
育児と夫の事業の手伝いに追われ、ストレスに苛まれる日々を送っていた大津たまみさん。「買い物依存」から抜けられなくなるなど、環境は彼女を着実に追い詰めていった。話し合いを試みるも、家族と過ごす時間より事業を優先する夫とは考えが合わず、ついに夫婦関係に終止符を打つことを決意する。
そして2006年1月、離婚が成立。その時大津さんは35歳、息子は9歳だった。真っ先に大津さんの脳裏に浮かんだのは「仕事を見つけなければ」という焦りだった。
実は結婚前にスイミングスクールのインストラクターをしていた頃、スキマ時間に化粧品販売の仕事を始め、離婚した後も細々と続けていた。しかし月の収入は1万円ほど。生活費を賄うには到底足りない。行き場のないストレスを買い物で解消する生活を送っていた大津さんには、当面の資金にする貯金もほとんどなかった。何よりもまず先に、新しい仕事を見つけなければならない。
大津さんは早速、事務職の求人を中心に10社ほど履歴書を送ったが、面接してくれたのはたった2~3社だった。どの面接でも聞かれたのは、次の質問だ。
「お子さんを1人で育てながら働けるの?」
預ける場所はあるか、残業はできるのか、夜勤や出張は難しいのではないか……。大津さんは必死に言葉を尽くして答えたが、最終的にはどの会社も不採用になってしまった。2000年代半ば、やっと就職氷河期の時代が終わりつつあった頃とはいえ、仕事を求める35歳のシングルマザーへの風当たりは今以上にキツかったはずだ。
「当時、女性が離婚していることを『ものすごく悪いこと』のように受け取る人がまだいたんです。だから、求職中にキツいこともたくさん言われましたね。『俺の女になるなら採用する』と言われたときは耳を疑いました」

