シングルマザーの起業に周囲の反応は
求職活動に見切りをつけて、起業への道を歩み始めた大津さん。当時書いたという「事業計画書」を見せてもらうと、緊張と決意が伝わってくる言葉が並んでいた。「最終目標」の欄には「幸せになる!」とはっきり書かれている。未知の世界に飛び込む不安はあったとしても、大津さんにとっては前向きな船出だったのだ。
しかし、周囲の反応は冷ややかだった。
心配した母親からは「傷つく必要はないから、普通に生きなさい。起業なんてうまくいく人のほうが少ないから」と言われた。以前、電話口で「帰ってくるな」と告げた父親は「世の中甘くない。お前は成功できない」とまた厳しい言葉を投げてきた。
「母は、離婚したばかりの当時の私の姿が、『ボロ雑巾のように見えた』と言っていました。子どもの頃から私は、すぐへこんだり泣き出したりしてしまう性格だったので、『大丈夫』『あなたならやれるよ』と言ってくれる人は全くいませんでしたね」
否定的なのは友人たちも一緒だった。「そんなことより再婚すれば」と言われてしまうこともあり、決心したはずの心は何度も痛めつけられた。求職活動のとき同様、多くの人が「35歳のシングルマザーには難しいだろう」と考えていたのかもしれない。「子どもを育てながら起業なんてできるわけがない」と。お金も時間もない中で、それでも大津さんは諦めなかった。
「清掃の仕事なら、バケツと雑巾があればできますから。あとはお金の代わりに知恵でなんとかすればいい。そう思って踏ん張っていました。『他人に頼って言い訳してばかりの人生に終止符を打つ』と決意して、自分を信じられなくなりそうな気持ちを抑えるのに必死でした」
そして2006年7月、大津さんは「株式会社 アクションパワー」を設立した。一つの区切りとして、ずっと続けていた化粧品販売の仕事も辞め、裸一貫でのスタートだった。しかし、その先ももちろん順風満帆とはいかなかった――。