火星の女王(早川書房)

 直木賞作家・小川哲さんのSF最新作『火星の女王』が2025年10月22日に発売された。

 人類の火星移住が始まってから40年後。地球への観光旅行に胸躍らせる火星生まれの少女リリ-E1102、ISDA(惑星間宇宙開発機関)種子島支部職員のアオト、地球外生命体を探す研究者カワナベ、火星の自治警察で働くマル。四者の視点から描かれる《100年後の火星》は、いま現在の事象かのようにリアルだ。

 

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「NHK放送100年の記念ドラマの原作を、という企画で先方から設定を提示されたので、そこから逆算して2085年に火星移住が始まったことにしました。今から60年後なら技術的には可能になっていると思うんですよね。問題は、火星に人を送り込むモチベーションがその時の人類にあるかどうか。実際にイーロン・マスクやジェフ・ベゾスが宇宙開発に投資していますが、そういう民間の開発がどれだけ進むか、つまりは儲かるかどうかが重要なファクターになるでしょうね」

 2125年の地球では、火星開発の成果に懐疑的な意見が強まっている。ISDAは火星住民の地球への帰還、段階的な撤退を目論むが、火星側には反発する者も多い。地球と火星、二者の溝を深めるのが“5分”の壁だ。

「太陽系の公転軌道上で100年後の地球と火星は約9000万km離れた位置にあるので、光の速度から計算して通信に最低でも5分かかる。リモートの会話って音声情報も視覚情報もあるのに、微かな身動ぎみたいな細かい情報がカットされるせいで、対面に比べて格段に意思疎通しにくくなりますよね。まして全コミュニケーションに5分以上のタイムラグが生じる地球と火星では、たとえ悪意がなくても相互理解が常に阻まれることになる」

 火星での退屈なルーティンワークからカワナベが大発見をしたことで、二惑星間の緊張はピークに。火星独立の機運が高まる中、ISDA幹部の娘であるリリ、彼女の地球側受け入れ担当のアオト、火星の治安維持に関わるマルも否応なく巻き込まれるが――。

「独立ということを考える上でモチーフにしたのは、アメリカ独立戦争です。イギリス以外にもフランスやイタリアなどばらばらの国から来た移民が“自分はアメリカ人である”という認識にどうやって至ったのか。血筋や人種ではない形でアイデンティティを持つことが、独立の第一歩なんだと思います。当時の対立の源もやはり物理的距離にあって、歴史的に見ても“会えない、話せない”という状況が断絶を生む。現代は電話やインターネットで距離が埋まったように見えるけど、人類が別々の星に住むような時代になったら結局、何100年前と同じところに戻るのだとしたら面白いですね」

 

おがわ・さとし 1986年千葉県生まれ。2017年『ゲームの王国』で山本周五郎賞、23年『地図と拳』で直木賞、同年『君のクイズ』で日本推理作家協会賞を受賞。新刊に『言語化するための小説思考』『火星の女王』がある。

「オール讀物」11・12月号より)

火星の女王

小川 哲

早川書房

2025年10月22日 発売

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