『スメラミシング』(小川哲 著)河出書房新社

 今最も信頼できる作家は? と聞かれたら、小川哲の名前を挙げる。作品としての面白さはもちろん、主題の選び方、テーマを扱う手付きのフェアネスさ、社会との距離感、潜る、俯瞰するなどの視点の確かさにおいて、わたしは小川哲を信頼している。

 小川哲のおよそ1年ぶりの最新刊『スメラミシング』は6篇からなる短編集。

 ヘブライ語の聖書をギリシア語に訳した史実を辿る「七十人の翻訳者たち」。紀元前260年代と2036年が、物語ゲノム解析という手法で繋がるめくるめく歴史SFだ。

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「密林の殯(もがり)」の殯とは古代日本の葬送儀礼のこと。主人公は宅配業者、けれど彼の実家は代々天皇の柩を運ぶ役目を担っていた。生と死、熱中と無関心、消費と生産が、言葉という輿に載って連綿と運ばれる。

 表題作「スメラミシング」はインターネット上のアカウントの名前。熱狂的なフォロワーを抱えるスメラミシングの呟きはデタラメなようにも見える。けれどその言葉は、バラモンと呼ばれる取り巻きによって牽強付会的に意味を付与され、陰謀論の強化に使われる。主人公はそのバラモンの一人。強迫症的なこだわりを持ち、社会と足並みを揃えられず、偏狭な母親に抑圧され、その救いをスメラミシングに求めていく。「理由がほしい。物語がほしい。正義のヒーローが現れて、黒幕の悪事を暴き、世界を変える、そんなお話であってほしい。自分はその物語の登場人物でありたい」。荒唐無稽な説でも、世界を型にはめてしまえば理解できた気がする。居場所が見つかった気になる。人々を世界に繋ぎ止めるスメラミシングは誰なのか。その言葉はただの空虚なのか。

“ゼロ”を信仰したという謎の教団「ゼロ・インフィニティ」を研究する主人公が、開祖とその伝道者を追う「神についての方程式」。人がなぜ宗教を持つのかという問いを通して、世界の秘密が解体される。

「啓蒙の光が、すべての幻を祓う日まで」は、神が禁じられた惑星で、神を発見する科学者たちの物語。

 崩壊した地球を舞台に描かれるBoy “can't” meets girl SF「ちょっとした奇跡」。偽月(フエイク・ムーン)によって自転が止まった地球、昼と夜の境目を二艘の船が永遠に旅をする。それぞれの船に乗るマオとリリザの間には、地球半周分の距離が広がる。

 過去、今、未来が、精緻な言葉たちと構成、圧倒的な解像度で語られる。共通するテーマとなるのは、宗教や信仰。その一環として現代の陰謀論が配置される。人が何かを信じたり、伝えようとした時に、そこに物語が生まれる。生まれた物語は力を持ち、さらに人をからめとって大きくなっていく。小川哲がSF、思弁小説を用いて、人というものに向き合う。

 黄昏に向かうように思える世界の中で、この小説は世界を照らす灯だ。

おがわさとし/1986年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年、「ユートロニカのこちら側」でデビュー。『ゲームの王国』で山本周五郎賞を、『地図と拳』で山田風太郎賞、直木三十五賞を受賞。近刊に『君が手にするはずだった黄金について』など。
 

いけざわはるな/1975年生まれ。声優や女優として、また作家や書評家としても活動。著書に『わたしは孤独な星のように』など。