『虚の伽藍』(月村了衛 著)新潮社

 壮大な“悪の全体小説”である。

「全体小説」というのは、私たちのいるこの世界/社会を丸ごと描く小説のこと。本書は仏教系宗教法人の若き僧・凌玄(りょうげん)の暗躍を通じて、バブル末期以降の日本社会を捉えつくそうと目論む犯罪サスペンスなのである。

 昭和60年。日本最大の伝統仏教団体「錦応山燈念寺派」本部の末端にいる凌玄は、売却した土地の整地現場の視察に赴く。そこでは古びたお堂の解体を止めようとする老人が騒ぎを起こしていた。老人は以前に燈念寺がお堂の再建を約束したと言うが、お堂は無残に破壊されてしまう。

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 だが凌玄は、老人の懇願を無下にできず、問題の土地の記録を調べた末に、この土地売却には燈念寺上層部の不正があることを知る。だが末端の僧にすぎない彼には上層部を弾劾することなど不可能だった。

 しかし、それを打開する人物が現れる。京都裏社会の顔役・和久良(わくら)である。和久良は例の騒動の際に凌玄を見かけ、そのカリスマ性を見抜いた。そして、この一件を皮切りに、腐った高僧どもを一掃し、真の仏法を守るべく戦おうと言って凌玄を抱き込み、暴力団幹部・最上に引き合わせる。

 こうして凌玄はフィクサーやヤクザと手を組むことになる。燈念寺内の権力闘争を勝ち抜き、京都駅前再開発にまつわる地上げ戦争に参入してゆく。

 本書のポイントは、凌玄が「悪党」ではないことだ。

 和久良との出会いを皮切りに、彼はずぶずぶと悪行に手を染めてゆく。だが凌玄は、あくまで仏法のためだと信じているのである。悪事に手を染めたことを悩みつつも、凌玄は仏法の論理によって悪行を正当化するのだ。ついには暴力団員は「僧兵」だと見なすようになる。真の仏法を守る凌玄にとって、彼の暴力装置であるヤクザは、悪ではなく善なのだと――。

 敵対する勢力もヤクザを引き入れ、不動産業者や金融業者と手を結び、行政にも手を回し、両陣営が互いを潰すための手段は汚さを増してゆく。詐欺。脅迫。拉致。裏切り。殺人。果たして凌玄はどこまでのしあがるのか。仏法のために悪をなす彼は“善”か“悪”か?

『東京輪舞(ロンド)』『悪の五輪』『欺す衆生』など、月村は事実に材をとって日本の暗い力学を描く長編を発表してきた。本書はその現時点での集大成と言っていい。それは単に本書が、権力構造までを視野に収めるスケール感を持っているからだけではない。この力強いドラマ性、叙事詩のような普遍性を見逃すべきではない。

 それはまるで『ゴッドファーザー』のようであり、あるいはギリシャ悲劇のようだ。第一部のクライマックスを見よ。冷酷な密殺を背景に、僧たちの梵唄(ぼんばい)が伽藍に反響する――この場面のオペラティックですらある荘厳さは、きっと読む者の脳裡に残りつづけるだろう。圧巻である。

つきむらりょうえ/1963年大阪府生まれ。2010年『機龍警察』で小説家としてデビュー。『機龍警察 自爆条項』で日本SF大賞、『コルトM1851残月』で大藪春彦賞、『土漠の花』で日本推理作家協会賞、『欺す衆生』で山田風太郎賞を受賞。
 

しもつきあおい/ミステリ評論家。『アガサ・クリスティー完全攻略』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)等を受賞。