「遺体がないから慌てる必要はありません」
話しにくそうな笠田とは対照的に、寿子はあっけらかんとしたものだ。
「金曜の早くだったら大丈夫でしょう。そうじゃなかったら、翌週になります。遺体がないから慌てる必要はありません」
花料は辞退し、賛美歌に加え、孫たちが合唱を予定している。葬儀の後には茶会を開き、できればビールを飲みながら語り合ってもらいたい。
「悲しんでほしくない。喜びにあふれた会にしてほしいわ」
幸子が聞いた。
「先生、(参列者は)やっぱり喪服ですかね」
「こだわりません。ただ短パン、Tシャツというわけにはいかないでしょう」
目の前の朝男がまさにその格好だった。寿子は笑いながら言った。
「あっちゃん、ホチキスでとめたサンダルを履かないでよ。私はまだそのころ(葬儀の最中)、教会周辺から見ているわよ」
朝男はこの夏、足に馴染んだサンダルをステープラで修繕しながら履いている。それを指摘された本人は頭をかいた。幸子からも「ちゃんとあいさつの言葉考えてる?」と冷やかされ、朝男は「大丈夫」と短く答えた。最愛の妻と別れる寂しさは、秘めたままである。
この夜、寿子宅に突然の訪問客があった。MAWJで夢を実現した山﨑健汰の父勲と母雅世である。ネットの報道で寿子が重い病気になったと知り、埼玉県吉川市で花屋を営む二人はその日のうちにヒマワリを抱えてやってきた。雅世の話である。
「世話になった大野さんです。とにかく行こうということになり、店を閉めるとすぐ車で行きました」
その日は日曜日だった。午後七時ごろ大野宅に着くと、大勢で食事をしていた。
「10人くらいで食事されていました。ベッドでお茶を飲む大野さんはまだ元気で、とても楽しそうにしていました。『食事していってよ』って誘ってもらいました」
寿子はこのとき、自分の葬儀にヒマワリを用意してほしいと依頼している。健汰の通夜・告別式もヒマワリでいっぱいだった。
