4歳で体調が悪化して危篤に……

 1995年に生まれた健汰は、肺動脈狭窄や肝外門脈閉塞などの難病を抱え、何度も入退院をくり返した。

 体調がいいときは勲が自転車に乗せて街を回る。すると幼い健汰は工事現場に特別な関心を示した。飽きもせずに、何時間も工事の様子をながめている。

 4歳で体調が悪化して埼玉県内で入院したとき、雅世はMAWJに連絡した。危篤になって3日後だった。夢の実現は間に合わない可能性も高かった。

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 寿子が聞き取ると、健汰の夢は工事現場の見学だった。しかし、健汰は病院を出られない。寿子たちは「工事現場を病院に作りましょう」と提案する。雅世は最初、首をかしげた。

「提案されたときは、何のことか理解できなくて。病院に作るって、何?」

 寿子たちが思いついたのは、工事現場のジオラマ作りだった。おもちゃのショベルカーやダンプカーを集めた。作成に際しては、『ウルトラマン』シリーズなどで知られる円谷プロダクションからアドバイスも受けた。とにかく早急に病院に運ぶ必要があるため、ジオラマ作りに関わったボランティアは約10人にもなった。

工事現場の見学が好きだった山崎健汰さん(遺族提供)

 MAWJの事務所でボランティアが手を動かしている様子を見ながら、寿子は胸が熱くなり、トイレに駆けこむと、隠れて涙を拭いた。

「ボランティアのみんなは健ちゃんのことをまったく知らないんです。アメリカでクリス君の夢を実現しようと、大人たちが一生懸命になったのと同じです。見たことも、話したこともない。それでも、夢をかなえてあげたい一心で協力している。見ているうちにぐっときちゃった」

 仕上がったジオラマは一畳ほどの大きさになった。病院に持って行くと、健汰は危篤状態から持ち直していた。雅世は喜びながらも、「大野さんたちに急いでもらったのに、悪かったな」と思った。健汰は無邪気にジオラマで遊んでいた。

小倉孝保(おぐら・たかやす)

1964年滋賀県生まれ。ノンフィクション作家。88年毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長などを経て論説委員兼専門編集委員。2014年、日本人として初めて英国外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。著書に『がんになる前に乳房を切除する 遺伝性乳がん治療の最前線』(文藝春秋)、『中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事』(角川ソフィア文庫)、『35年目のラブレター』(講談社文庫)などがある。

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