『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)

「メイク・ア・ウィッシュ・ジャパン オブ ジャパン」(MAWJ)の初代事務局長として、約3000人の難病の子どもたちの夢を叶えてきた大野寿子さん。そんな大野さんは、2024年6月、肝内胆管がんにより「余命1カ月」を宣告される。

 そんな大野さんの最期の日々に密着した感涙のノンフィクション『かなえびと 大野寿子が余命1カ月に懸けた夢』(文藝春秋)が好評発売中。

 今回は本の中から、1980年に米国で「メイク・ア・ウィッシュ」の活動が始まるきっかけを描いた場面を抜粋して紹介する。

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「余命1カ月」を宣告され、体重が減り、衰弱が進む

 すっかり細くなった腕を伸ばしてマイクを握ると、演壇の大野寿子は語り始めた。

「すっごい楽しみにしてきたんです。指折り数えながら、この日までは頑張るぞって。それはどうしても伝えたいことがあったからです」

 顔にははち切れんばかりの笑みが浮かんでいる。

 襟なしの白いシャツに青のカーディガンをはおり、黒いロングスカートをはいている。

 髪は若いころからショートで、最近は染めるのをやめたため輝くようなグレイヘアである。

 首元から遠慮がちにのぞくネックレスは、半年前に亡くなった親友、竹林道代の形見分けである。道代と一緒にここに立っているつもりだった。

講演に立つ大野寿子さん ©文藝春秋

 2024年7月6日は梅雨の半ばにありながら、関西は朝から快晴である。神戸・三宮近くのキリスト教施設には約60人の聴衆が詰めかけた。講演のタイトルは「夢に向かって一緒に走ろう」だった。

 寿子が「この日までは」と語ったのには理由がある。寿子は末期の肝内胆管がんで、10日前には医師から「余命は1カ月ほど」と宣告されていた。千葉県浦安市の自宅から神戸まで来られるかどうか、最後まで不安だった。

 体重はかつての50キロから40キロに減り、157.5センチの身長にしてはかなり細い。衰弱は進んでいる。

 今夏は特に暑い日が続き、神戸はこの日、最高気温が34度になった。普段は自宅で、介護用ベッドに体を横たえ、車椅子も使い始めている。吐き気に襲われるのも珍しくない。

 難病の子どもの夢をかなえる非営利団体(NPO)「メイク・ア・ウィッシュ」日本支部(MAWJ)の活動に携わってちょうど30年になる。夢を追った子の姿を紹介する講演は多い年には200回を超えた。病気を抱え、明日をも知れない体となっても、演壇に立つと元気を取り戻せるのが不思議だった。