泣きながら自問しました。「なぜ私の子なの?」
難病の子の夢をかなえようと米国でNPO「メイク・ア・ウィッシュ(MAW)」が設立されたのが1980年である。前年の2月、西部アリゾナ州スコッツデールに住む、7歳の少年クリス・グレシャスが白血病と診断される。警察官になるのを夢見ながらも、体は衰弱するばかりだ。
その夢を知った地元警官がクリスに制服を着せ、名誉警察官に任命する。小さなクリスはヘリコプターに乗って市内上空を巡回し、駐車違反の取り締まりまでやった。クリスは母のリンダとこんな会話を交わしたという。
「ママは僕を本物の警官だと言ったよね」
「そうよ、あなたはこれからもずっと警官でいるのよ」
警察が正式な制服を届けた2日後、クリスは帰らぬ人となった。地元警察は名誉職員葬でクリスを送る。
コミュニティがクリスの夢を実現し、それがMAW設立につながった。母のリンダはMAWにこんな手紙を寄せている。
〈息子のクリスが白血病と診断されたとき、私は泣きながら自問しました。「なぜ私の子なの?」
最も辛かったのは、何が起こっているのかというクリスの質問に答えることでした。
(夢を叶えたとき)クリスはそれまでで一番幸せそうでした。再び生き返り、希望と喜びと驚きに満ちた子どもになりました。
その日、クリスは医者のこと、入院生活、そして痛みさえも忘れてしまったのです。このときの喜びは言葉では言い表せません。だからこそ、私は病気のことよりも、クリスのウィッシュ(希望)を今でも忘れずにいます。(一部抜粋)〉
夢の実現を手助けした子どもは3000人を超える
夢を実現する過程で、子どもたちは病気と闘う勇気や希望を見いだしていく。その笑顔は子どもから家族や医療者にも広がる。それをサポートするのがMAWだった。
86年には英国でも設立され、海外にもそのネットワークを広げていく。日本支部は92年12月、沖縄在住の米国人女性スーザン・アルブライトによって設立された。
93年には「メイク・ア・ウィッシュ インターナショナル」が生まれ、各国の組織が連携する体制もできた。現在では米国のほか約50カ国・地域で、ボランティアが難病の子どもたちを支援している。80年以降、夢をかなえたケースは世界で約61万5000件になる。
事務局が沖縄から東京に移った94年、寿子はスタッフとしてその活動に携わり、98年からは初代事務局長を務めた。夢の実現を手助けした子どもは3000人を超える。子ども(ウィッシュ・チャイルド)やその家族(ウィッシュ・ファミリー)からすると、寿子は暗闇の中で「夢」という明かりをともし、それを実現してくれる「かなえびと」であった。
2016年に65歳で退職した後も理事として講演を続け、子どもたちの姿を伝える伝道師役を果たしてきた。寿子がやっているのは、笑顔の種をまく活動だ。そのため自身を「種まきおばさん」と称している。
小倉孝保(おぐら・たかやす)
1964年滋賀県生まれ。ノンフィクション作家。88年毎日新聞社入社。カイロ、ニューヨーク両支局長、欧州総局(ロンドン)長、外信部長などを経て論説委員兼専門編集委員。2014年、日本人として初めて英国外国特派員協会賞受賞。『柔の恩人「女子柔道の母」ラスティ・カノコギが夢見た世界』(小学館)で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞最優秀賞をダブル受賞。著書に『がんになる前に乳房を切除する 遺伝性乳がん治療の最前線』(文藝春秋)、『中世ラテン語の辞書を編む 100年かけてやる仕事』(角川ソフィア文庫)、『35年目のラブレター』(講談社文庫)などがある。

