「王将」の餃子でもてなされたが、すぐに箸を置いた

「アドレナリンが出るのかな。しゃきんとする。だから無理してでも行こうと思ったの」

 さすがに9月に予定していた分はキャンセルしたため、これが生涯最後の講演になる。

 前の日の朝、自宅を出て、新幹線で午後、京都に入った。長男の二村太郎が同志社大学で地理学を教えている。関西で用事があるときは前日に太郎宅に泊まるのが常だった。余命宣告されて以降、京都に来るのは初めてである。

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 寿子は小麦粉などをベースにした「粉もん」と呼ばれる料理が好きだった。この晩も中華チェーン店「王将」の餃子でもてなされたが、すぐに「これで十分」と箸を置いた。太郎は「抗がん剤治療をやめたばかりだから、食欲がないのかな」と思った。

 関西に来るのはこれが最後になりそうだ。寿子がそう感じているのは、口ぶりからも伝わってきた。翌日午前、神戸に向かうため、太郎夫妻と一緒に家を出るとき、飼われている柴犬の名を呼び、こう言った。

「タビ、さようなら。これが最後になるかもしれないね」

 JR三ノ宮駅(神戸市中央区)の改札を出るとすぐ、寿子は進藤尚子の姿を目に留めた。

「暑いのに来てもらっちゃった。甘えてごめんね」

「そんなことありませんよ。甘えてもらってうれしいです」

三ノ宮駅前 ©Gengorou/イメージマート

骨髄性白血病で小学5年生だった息子を喪う

 進藤は04年8月5日、小学5年生だった長男圭吾を亡くしている。前年の3月に急性骨髄性白血病と診断され、神戸市内で入院した。04年7月になると、衰弱が進み、ほとんど食べられなくなる。

 夢は「家族で東京ディズニーランドに行きたい」だった。MAWJの支援を受け、その夢をかなえてちょうど2週間後、帰らぬ人となった。

「体力が弱っていたんですが、あのとき、ホテルで弟妹と一緒にトランシーバーで遊んだんです。病気だから弟妹と一緒にいることさえ難しい状態でした。今でも思いだすと正直つらい。でも、最後にあの機会を作ってくれた寿子さんたちには、心から感謝しています」

 息子を亡くしてしばらくしたとき、進藤は関西のホテルで寿子の講演を企画した。そのとき、「会いたかったのよ」と抱きしめられたのが忘れられない。喪失感にさいなまれた心を温かな色に染めてもらった。

 最後の思い出となったディズニーランド旅行からちょうど20年になるこの夏。恩人ががんになりながら講演に挑もうとしている。どんな支援も惜しまないと誓い、車で迎えに来たのだ。