「直接触れ合う」スタイル
私は宮内庁職員として、昭和と平成、2代に仕えることになりました。その中で感じたことは、それぞれのスタイル、ものの進め方がある、ということでした。
たとえば我々、というか我々の上司が何か陛下にご説明する場合、昭和天皇のときは、各担当が侍従に相談し、侍従が陛下に伝えるというスタイルでした。それが今上陛下は担当から直接説明を聞かれる。たとえば行幸啓(ぎょうこうけい)ならば総務課長が呼ばれて、直接、ご説明をするわけです。
この直接性は、今上陛下の大きな特徴ではないかと思います。たとえば被災地などに行かれても、現地の人たちの中に入っていって、膝をつかれて直接話を聞かれる。これも当初はいろいろな批判もありました。私などもそうなのですが、それまで「天皇」といえば昭和天皇なんですね。だからはじめのうちは、昭和帝と違う、という感覚がありました。
ところが、それが一変する出来事があったのです。両陛下の地方行幸啓にはじめて随行したときでした。両陛下を地元の人々が出迎えてくれるのですが、その歓迎の凄さ、歓声の響きが体の中にまで入ってくるような感覚でした。これが国民と直接触れ合うということなのか、と実感したのを覚えています。
憲法を読むと、第一条に「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と書かれています。しかし、それだけでは単なる法律の文言に過ぎない。それに実体を与えているのは、天皇と国民との間に直接流れる共感ではないか――そんなことを感じました。
宮内庁から情報発信を
国民に「見える天皇」、そこにいることを「感じられる天皇」を支えているのは皇后陛下の存在でしょう。
私は宮内庁を退官したあと、『皇室手帖』という雑誌をつくり、最近ではBSで『皇室の窓』という番組の監修にたずさわっています。つまり、報道される側から報道する側に転身したわけですが、そこでも痛感するのは、圧倒的な皇后陛下の人気です。皇后陛下の発信力と、天皇陛下の誠実さがあいまって、今の国民からの支持を築いていったと思います。
たとえば天皇陛下はこの前、タヌキの論文を発表されましたが、研究日は必ず毎週日曜日と決めておられたそうです。平日は勤務日だから、プライベートの研究はなさらない。そういう見えないところでも、常に自分を律しておられる。また、ご自身でパソコンを使い、プリントアウトもされるのですが、確認用などで印刷するときは、裏が白い、不要になった紙をためておいて、その裏紙を使われる。その話をネットの対談で紹介したところ、若い人たちの間で話題になったそうです。
メディアと天皇との関係でいうなら、私はもっと宮内庁が、皇室のプロデューサーのような役割を担い、非難されることを恐れずに、あるべき皇室の情報を発信し続けてほしいと考えます。同様に、マスコミは批判すべきことは批判しつつ、皇室と国民を繋ぐ役割を継続してほしいと願っています。
やました・しんじ 1956年大阪市生まれ。関西大学卒。23年間の宮内庁勤務の後、出版社役員を経て独立。『皇室手帖』の編集長などを務め、現在BSジャパンで『皇室の窓』の監修をてがける。近著に『天皇陛下 83年のあゆみ』(宝島社)など。