「デンスケを担いで人ごみの中でおどおどしながら必死にマイク向けても『こっちは忙しいだ!』って怒られる。局に戻れば、『何も聞けてないじゃねえか』ってディレクターに叱られる。でも、あっという間に図々しくなれるんですよね。あと、ステーションコールもやりました。『JOAU、お聴きの局はFM東京です』ってやつ」

「女性の声には説得力がないから」と任された仕事は…

 宿谷は当時の後藤の姿をよく覚えている。

「その頃は本社が霞が関の高層ビルにあったんです。普段、私は虎ノ門のスタジオで働いていて、たまに本社に行くときはエレベーターで33階まで昇るんだってもうドキドキ。そこに亘ちゃんがいたの。パリッとスーツを着て。すごく感じがよくて、見た目ソフトだけど何か一本ドンッて筋が通っている印象だった。紫のスーツを着ていたのが忘れられないな。『亘ちゃん紫染めだったね』ってみんなではしゃいだ。今でもあのスーツ、持っていらっしゃるかしら」

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 女性社員たちは、後藤のことを親しみを込めて「亘ちゃん」と呼んでいたのだという。

 女性の声には説得力がないからとニュースは読ませてもらえなかった。そういう時代だった。

「パンダのカンカンランランが上野動物園にやってきて、『なんて可愛いの!』なんて呑気に中継してました。東京の空は広かった。あの頃は建物が低かったから。大きな空の下で楽しく四苦八苦してました」

次の記事に続く 「アニメなら勝てます!」“オタク”への偏見を逆手に取り…東京のローカル局・TOKYO MXが他局との差別化に成功したワケ