「ミスターFM」と呼ばれた男、後藤亘氏。戦後の混乱期に反骨魂を胸に、ラジオの世界で革新を続けた経営者の評伝『反骨魂 後藤亘 「ミスターFM」と呼ばれた男』(文藝春秋)が刊行された 。

 黎明期のFM放送を牽引し 、伝説の深夜番組『JET STREAM』を立ち上げ 、ついには経営危機に瀕したTOKYO MXテレビの再生まで成し遂げた後藤氏の知られざる挑戦と人間哲学を、本書から4回にわたって抜粋して紹介する。(全4回の1回目/続きを読む)

 

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麻雀と売血で生計を立てた学生時代

 その頃、奨学金だけでは生活費が足りず、亘は高校時代に覚えた麻雀の他流試合で生計を立てるようになっていた。

 毎日のように朝方まで飲み明かし、昼すぎに起きて雀荘に通う日々。麻雀相手がおらず生活費に窮すると、売血で賄うこともあった。

 北四番町の東北大学医学部附属病院で簡単に血を売ることができたのだ。100ミリリットルで900円、両腕から同量を採血すると倍の1800円。奨学金程度の額を手っ取り早く稼ぐことができた。

 ときには、進駐軍用のダンスホールに顔を出すこともあった。音楽に合わせて体を動かす。ワルツ、クリック、そしてルンバ。

 だが、見よう見まねではうまく踊れるはずもなく、ぎこちない動きを見かねて進駐軍の婦人が手を差し伸べてくれる。相手の足を踏まないようにするのが精いっぱいで、その必死の形相を見て噴き出されたりもした。

 駅裏には娼婦街があり、薄明りに照らされた路地を歩けば、「お兄さん、遊んでいかない?」と声をかけられる。

「あら、学生さんだわ」

 濃い化粧に派手なドレスをまとい、チューインガムを噛みながら彼女たちは進駐軍兵士相手に体を売っていた。

 ラジオからはベニー・グッドマンの軽快なスウィング・ジャズが流れ、進駐軍兵士の捨てたラッキーストライクを拾って煙草を覚えた。