15歳で目撃した友人の母親の公開処刑

――幼い頃、北朝鮮にはどのような印象を持っていましたか。

ムン 北朝鮮では海外のニュースがあまり入ってこない。他の国も北朝鮮と同じ暮らしをしていると思っていました。

――最初の心境の変化はいつだったんですか。

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ムン 平壌に住んでいた15歳の時です。「この国がおかしいというより、なんでこんなことを?」と思う出来事に遭いました。友だちの母親が公開処刑されたんです。

――そのことは知らされていたんですか。

ムン 北朝鮮には約30世帯を取り仕切る「人民班長」と呼ばれる人がいて。中年くらいの女性が役職に就いてます。いわゆる警察のスパイみたいな人。その班長から「次の日に競技場に行くように」と言われたんです。イベントに参加する世帯は班長が決めるし、会場では出欠もチェックされる。欠席するわけにはいきません。

 次の日に競技場に行って2時間くらい経った頃に1台のバスがグラウンドに入ってきました。私は背が低かったので、あまり見えなかったんですけど、バスから軍服を着た人が6人降りてきて、女性と男性が出てきました。

 女性を見てみたら幼い頃に一緒にピアノを習っていた友だちのお母さん。もう1人の男の人も知っている人。日本と北朝鮮との貿易をする会社を大きくした有名な方でした。

 そして、2人を死刑にするための裁判が始まったんです。

 

 裁判といっても結論は決まっています。裁判官の役割を演じている人がいて「北朝鮮の顔に泥を塗っている」とマイクで叫んだりして。審判を下す人が「死刑にする」と言ったら、みんなで「死刑にしろ!」と続くんです。

 それが終わると軍隊の6人がライフルで30発の弾丸を友だちのお母さんに打ち込んで……。目を伏せていましたが「ダダダダダッ!」って音が響くんですよ。15分ほどで鳴り止んだと思ったら、もう1人も同じように……。数日間眠れなかったし、その音は1週間以上も耳から離れませんでした。

処刑の理由は“韓国のドラマ”

――友人のお母さんはどのような罪だったんですか。

ムン 韓国のドラマをDVDにコピーして販売した、それだけです。友だちのお母さんは、もともとDVDやCDを販売する仕事をしていたんですよ。

 北朝鮮で公に販売を許可されていたのは、国内映画や旧ソ連で1930年代に撮影された軍事映画ばかり。でも、古い映画を見たい人はあまりいない。コピーした韓国のドラマを裏で売っていたんです。

 処刑された現場には友人のクラスメイトもいました。その人と関係ある人をわざわざ呼んで見せつけているんですよ。

――恐ろしいですね……。