千葉市稲毛区で行列のできる平壌冷麺店を夫婦で営むムン・ヨンヒ(34)さん。北朝鮮のエリート階級出身だった彼女は25歳の時にひとりで国境にある川を渡った。喉の渇きと空腹を我慢して山道を歩いた後、中国にいるブローカーと合流。3週間かけてラオスの韓国大使館に亡命するまでの道のりを聞いた。(全4回の3回目/続きを読む

ムン・ヨンヒさんが作る平壌冷麺

◆◆◆

ラオスの国境寸前で中国の公安に捕まる

――中国からの亡命を手伝ってくれたブローカーはどんな人だったのでしょうか。

ADVERTISEMENT

ムン・ヨンヒ(以下、ムン) ブローカーさんは韓国の教会で牧師をしている人でした。北朝鮮の人たちを助ける活動をしているそうです。中国を抜けるまでの3週間本当にお世話になりました。

――北朝鮮と中国の国境からラオスを目指したんですよね。どんなルートで進んだのですか。

ムン 中国と北朝鮮の国境の近くに朝鮮をルーツにする中国人たちの自治区があります。牧師さんと一緒に移動して、3人の脱北者と合流しました。

 最初の目的地は600キロ以上離れている瀋陽です。バスで移動しましたが、この時に乗っていたバスが検問で引っかかってしまって。私の前に乗っていたおばさんがカバンを開けられてチェックされたんですよ。「もうダメだ……」と思ったけど、たまたま私は検査の対象になりませんでした。「助かった!」と思いました。

平壌冷麺店を夫婦で営むムン・ヨンヒ(34)さん

――この時は韓国に亡命しようと決めていたんですか。

ムン 浅草に住んだことのあるおばあちゃんから「日本は自分のやりたいことができる自由な国。そこに行って」と言われていたんですよ。だから日本に行きたかった。最初は瀋陽の日本領事館に駆け込もうと考えていたんです。

 けど監視が厳しくてダメ。牧師さんから「まずは他の国に逃げないと。ベトナム・ラオス・タイに行って、北朝鮮からの難民を受け入れているアメリカか韓国に行こう」と言われたんです。北朝鮮でずっと教育を受けていたからアメリカには怖いイメージがあって。韓国に行こうと決めました。

――瀋陽からはどのようにラオスへ。

ムン 瀋陽から北京に移動して、北京から寝台電車で10時間以上かけて雲南省の昆明まで南下しました。移動している時の検問が怖かったので、トイレに行かずにずっと布団の中に隠れていました。

 昆明からラオスに移動するんですけど、バスも電車も危なかったので、新しい車を用意してもらって、運転手さんも雇いました。

 でもラオスに着く直前で捕まってしまって。特殊警察に車を停められて、携帯とかお金とか偽造の身分証を没収されて「どこから来たの?」って尋ねられました。

 本当のことは答えられないから「韓国からの留学生です」と3時間くらい説明したけど、まったく納得してもらえなくて。最後は「いま持っている全財産とネックレス、指輪をあげるから助けてください!」と泣きながらお願いしました。でも「上司に報告したから見逃すことはできない」って……。