千葉市稲毛区で行列のできる平壌冷麺店「ソルヌン」を夫婦で営むムン・ヨンヒ(34)さん。北朝鮮のエリート階級出身だった彼女は25歳の時にひとりで脱北を果たした。「脱北を考えたことはなかった」と振り返るが、なぜ決行したのだろうか。(全4回の2回目/続きを読む

平壌冷麺店「ソルヌン」を夫婦で営むムン・ヨンヒ(34)さん

◆◆◆

おばあちゃんの言葉をきっかけに脱北を決意

――「脱北」を知ったきっかけを教えてください。

ADVERTISEMENT

ムン・ヨンヒ(以下、ムン) 私が大学を卒業する年におばあちゃんが脱北したんですよ。出発する直前に私に会いにきて「今から脱北するんだ。一緒に行かない?」と言われて。そこで初めて「脱北」という言葉の意味を知りました。

「危険なのになんで?」と思っちゃって。「7年通った大学をやっと卒業できるんだよ! そんなこと言わないで」と断りました。

 おばあちゃんは「この国には未来がない。やりたいことを自由に選べる日本に行こう」と続けましたけど……。それを聞いても「おばあちゃんどうしたんだろう?」って。

――おばあさんはなぜ脱北を?

ムン 戦前に韓国・済州島で生まれたおばあちゃんは19歳まで海女さんをやっていました。その後日本に渡り、帰国事業で北朝鮮に来ました。「今でも自分の住んでいた家が夢に出てくる。故郷の友人に会いたいし、生まれた場所を見てから死にたい」と話していて。70歳を超えていたのでどうしても故郷に行きたかったそうです。

 でも、結局、捕まって刑務所に連れて行かれました。刑務所からおばあちゃんを出すためにお母さんはすごく悩んで。お父さんが病気で亡くなっていたので、家には日本円で100万円くらいしかなかったんですけど、30万円の賄賂を用意しました。3ヶ月が経った頃には刑務所から出られたんですが……。

 脱北する前まではふくよかでパンパンだったのにしぼんでいて。体重を測ったら65キロあった体重が40キロしかなかったんですよ。再会した時に「誰……?」ってとまどいました。

 

――そこからどのようにムンさんの脱北に繋がっていくのでしょう。

ムン お父さんが亡くなってから不可解なことが続いていたんですよ。お母さんは平壌で飲食店をしていたのですが、「やってはいけないことをやった」と当局から注意を受けたこともありました。

 私も同じです。大学卒業後に女性の軍隊に入ることが決まっていたけど、他の権力者の親族が代わりに入ることになったり……。ずっと目標にしていたことが叶わなくなって残念でした。

 その時におばあちゃんから収容所の話を聞きました。収容所には約60人の女性がいて、40人くらいは私と同じ20代だったみたい。その人たちに「生きて出られたらどうする?」って聞いたら「絶対に脱北する」と答えたそうです。

 過酷な取り調べを受けたおばあちゃんも脱北を諦めていなくて。その話を聞いて「この国から抜けるって選択肢があるんだ!」って勇気をもらいました。