荷物をまとめてから深夜2時に川のほとりへ

――どういうルートで北朝鮮から亡命したのでしょうか。

ムン 平壌から中国との国境にある恵山(ヘサン)まで600キロくらいあります。出発してすぐに寝ちゃったんですけど、15時間くらい経った頃にブローカーさんの家に到着して2週間ほど隠れていました。

 その後に中国との国境になっている鴨緑江の近くの家に移って。大雨が続いていたので心配だったんですけど、3日目の夜に「今日だよ」と告げられました。

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 中国で使う携帯や着替え、靴をリュックにまとめてから深夜2時に川のほとりへ。足元が見えないほど真っ暗だったんですけど、軍隊の人が私の手を持って「こっちこっち」と連れていくんですよ。そして「ここをまっすぐ渡ったら中国だよ」と。

――川は深いんですか。

ムン 胸元くらいまでだったかな。大雨の影響で川の流れが激しくて。なんども流されそうになったし、泥水もたくさん口に入った。40分くらいかけて中国側の岸に渡りました。

 堤防をなんとか登って、有刺鉄線をくぐり抜けて。そこで服や靴を新しいものに着替えて、ブローカーさんに連絡しようと思ったんですけど……。携帯を開いたらアンテナが立っていなかった。樹々が生い茂っていて、虫がたくさんいる山道を進むしかなくなりました。

 明るくなってくると黒色の板に赤字で「不法越境する者はただちに処刑する」って書かれた看板が見えるんです。監視カメラもたくさんあって、気を抜けませんでした。

 

 48時間くらい歩いたのかな。喉の渇きと空腹が限界になって。「もう無理。このまま死ぬのも捕まって死ぬのも同じだ」と思って道路に降りました。

 そしたら車の走る音が聞こえて。「もし公安の車だったら強制送還されるかもしれない」と心配したんですけど、軽バンだったので手を挙げて。車をとめてくれたおじさんに「助けてください!」と伝えました。

「無事に行ってね」と送り出してくれた親切なおじさん

――どういう風に説明したんですか。

ムン 「脱北してきた」と言えないので「親戚が中国に住んでいるんですけど、なぜか携帯が繋がらなくて……」とごまかしました。

 おじさんが「ここは電波が届かないけど、少し先にある検問所まで行けば電話できるようになる」と説明してくれたけど、このまま歩くと検問で捕まってしまう。「北朝鮮に戻されてしまうから助けてください」とお願いしたら、車に乗せてくれました。

 私は外から見えないように隠れていたし、おじさんは地元ナンバーの車に乗っていたから、検問では止められなくて。携帯電話の繋がる場所に行くことができました。

 そこでブローカーさんに電話をかけることができたんですよ。「場所は?」と聞かれて答えられない私に代わっておじさんが伝えてくれて。10分後くらいに迎えに来てくれたんですよ。

――親切ですね……!

ムン おじさんは貿易の勉強で朝鮮語を学んだことのある中国の人。「無事に行ってね」と送り出してくれました。それからブローカーさんと3週間かけて中国を抜け出すことになります。

 

写真=佐藤亘/文藝春秋

次の記事に続く 「ラオスの国境寸前で中国の公安に捕まった」布団の中に隠れて移動した北朝鮮エリート階級出身の女性(34)が語る、亡命するまでの道のり

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