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「おもしろそう」って子どもが言った時、大人はどう答えるか

――新刊『みえるとか みえないとか』(アリス館)は視覚障害のある人を宇宙人として描いている視点がとても斬新です。絵本の中にインタビューや解説を書いた小さい冊子「みえるとかみえないとか ができるまで」をつけているのは大人向けに、ということですか?

 

ヨシタケ そうですね。大人、つまり実際にお金を払った人に、せっかくだからこの本ができたいきさつだったり、絵本の中に入らなかった部分を、聞いていただいてもいいかなっていう発想です。『こどものとも』(福音館書店)のように、お父さん・お母さん向けの冊子がついているというのは、絵本によくある話なんですけど。「もうちょっと裏の部分を知りたいな」と思ってくれた人に、補佐的な意味合いで冊子をつけることがあります。

――監修(そうだん)されている伊藤亜紗さんのこと、この絵本のバックグラウンドがわかるというのは、とてもいいなと思いました。

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ヨシタケ 原案というか、もとのネタ本があるというのは、初めての試みでした。伊藤先生の『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)という新書を絵本化しませんか、というのが元々の企画だったんです。ただ、新書と同じ情報量を絵本で見せるというのは難しいし。新書は、たぶん中学生ぐらいだったら一気に読めちゃうんですね。だから、小学生までの子たちに、「もうちょっと大きくなったらこっちも読んでみてね」というスタンスで作りました。

絵本『みえるとかみえないとか』

 冊子でもちょっと触れているんですけど、僕が小さい頃に街で白杖をついて歩いていた視覚障害者の方のことを「おもしろそう」って言ったら、母親にえらい怒られたことに対するモヤモヤがずっとあって。お互いの違うところを、はれ物にさわるように扱うのではなくて、単純に面白がることはできないだろうかと。要は「おもしろそう」って子どもが言った時に、どう大人が答えるか。「いけません」という言葉以外の着地点はないはずないよな、ってずっと考えていたんです。その一つの答えを絵本の中に見つけてもらえたら、すごくうれしいし、そういった提案がこの絵本のひとつの着地点になるのかな。

――では逆に、ヨシタケさんの絵本の中で、子どもに向けて描いている要素というのは、どういうところですか?

ヨシタケ 僕はいつも、「身もフタもないようなことをちゃんと言っている絵本にしたいな」と思っています。何より、僕自身が子どもの頃に、作り手である大人側の“あざとさ”が透けて見える作品が嫌いだったんです。絵本をぱらぱらとめくって、たった2~3ページで、「あっ、これつまんないやつだ」って気が付く絵本があるわけですよ。「これはたぶん、後半にいくにしたがって、文字数がどんどん増えてきて、上から目線で自分が怒られているような気持ちになりそうだぞ」。最後は「というわけで、あなたは明日から生き方をあらためましょう」、「どういう風にあらためたいと思いますか。次のページに書き出してみましょう」なんて、いきなり宿題みたいになったりする絵本があるわけですよ。

 

――子どもがニヤニヤしながら楽しむ絵本というよりは、道徳の教科書みたいですね。

ヨシタケ そうです。もちろん、それはそれであっていいんですけど、僕としては、楽しみたくて絵本を手に取っていたから、そういう絵本にすごくがっかりしていたんです。だから自分が描く側になった時に「なんだよ、違うじゃないか」って思われるのが、一番嫌なんですよね。疑り深い子どもだった昔の自分の味方でいたい、というのは常に考えています。