『ローマ人の物語』で知られる作家・塩野七生氏が、稀代のファッションデザイナーとの思い出を綴った「アルマーニとの四十年」(「文藝春秋」2025年11月号掲載)の冒頭を紹介します。

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 とは言っても九月四日に、九十一歳で世を去ったジョルジョ・アルマーニと私が、親密なつき合いをしてきた四十年ではない。会って話したのは四十年昔の一度だけ。だから四十年とは、作品が発表されるたびに買って読む、作家と愛読者の関係のほうに似ている。

 始まりは、どこかの雑誌が企画した対談だった。もはや『タイム』の表紙になったりしてイタリアン・モードの旗手の感があった彼が、なぜ私との対談をOKしたのかはわからない。私が、ファッション関係の物書きではなかったからかもしれない。対談のテーマは、これまた当時では誰もが口にするようになっていた「アルマーニ・グレイ」だったのだが、それに抗して私が出したのが「江戸小紋」。今では覚えていないが、その日の私は江戸小紋を使って仕立てた和服を着ていたように思う。それだけでなく、何枚かの江戸小紋の生地の見本まで見せた後で言った。

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ジョルジョ・アルマーニ ©文藝春秋

「これらはもともと、男が着る柄でした。江戸時代のサムライたちが登城の際に着ていたのだから、今ならば背広ですね。でも、武士階級が姿を消した後の日本では、女物に仕立てて着ていますけれど」

 対談していてすぐにわかったのは、アルマーニという人は、感じたことをすぐに口に出す人ではないということ。黙って聴いているので、常にはおしゃべりな私も自然に口数が少なくなる。ただ、これだけは言った。男物と女物の、美しい交流だね、と。私のほうは、彼の色彩感覚の冴えに感じ入っていたのだが。なにしろ、私が三種しか見分けられないグレイを、彼となるとその優に十倍も見分けるのだから。

 超一流になるには、それぞれの分野での「絶対感覚」が欠かせない。デザイナーならば、形だけでなく色に対しての絶対感覚。金融人ならば、絶対ファイナンス感覚。政治家ならば、絶対政治感覚。

 ショーに出す服の点検という仕事の場も見せてくれたのだが、そのときにわかったのだ。モデルが着ている服の最後の点検にすぎないのに、彼が、ここはこうして、と言っただけで、印象が一変する。まるで、画龍点睛そのもの。それをしながら、背後の私に振り返って言った。つけ足すよりも、取り去るほうが多いのだけど、と。