アルマーニの母親観

 また、一時間程度の対談中でもわかったことはもう一つあった。男ものでも女ものでも関係なく、「美」には人一倍敏感な人でもあることである。

 私も彼も、対談中に私生活を話題にしないことでも共通していたが、彼にとって母親だけは特別らしかった。母の希望で大学は医学部に進学したのだがどうしても馴じめず、ファッションの世界で仕事をしたいと言ったら、それをさらりと受け入れただけでなく、できるだけの援助はすると約束し、しかもそれを実行しつづけてくれたこと。そして言った。高価な服を着られる経済状況でもないのにいつも美しい人だった、と。

塩野七生氏 ©文藝春秋

 こうも手放しで母親を誉め讃えるのは映画監督のルキノ・ヴィスコンティもそうだった、と思い出した。ヴィスコンティの部屋には、等身大の美しい母の写真が飾ってあったくらい。二人とも、一度も結婚していない。

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 別れぎわに、アルマーニが言った。「ボクの服は嫌い?」私は答える。「嫌いではないですよ」それにアルマーニは笑いながら言う。「ボクは性格のはっきりした女のために作っているのだけど」私のほうも笑いながら答える。「そちらのほうなら人にあげたいくらいあるんですが、二十センチのちがいがあっては着こなす勇気が出ないんですよね」扉を開けてくれながら彼は言う。「ローマのボクの店にミケランジェロという名の店員がいる。彼にはセンスがある。暇のあるときにでも話してみたら?」

 というわけで、アルマーニとの四十年とは言っても、実際上はミケランジェロとの四十年なのである。だが、イタリアを愛する外国人には忘れようとしても忘れられないこの名の若い店員は、私のために服を選びながら、シニョール・アルマーニならば組み合わせはこのようにすると、まるでアルマーニが乗り移ったかのように言うのが常なのだが。

※本記事の全文(約3000字)は「文藝春秋」2025年11月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(塩野七生「アルマーニとの四十年」)。

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