「どちらに転ぶのも有り」の末に

日本人へ 第248回

塩野 七生 作家・在イタリア
ニュース 社会 歴史
 

 今から百五十年以上も昔になる幕末・維新の時代をさ迷う日々をおくっていると、ごく自然に次の想いにたどり着く。あの時代を専門にしている研究者たちは大変だな、と。

 まず、西洋の歴史にはたまにしても現われた、超のつくリーダーがいない。つまり、地をはう虫の視点に加えて空高く飛ぶ鷹の視点までを一身にしていた人は一人もいなかったのだ。もしいたら、後世から振り返って書く人も容易になったろう。超のつく指導者の足跡を忠実に追っていくだけで、場当り的にやったように見えたことでも結果的には大局の解決につながっていったのが、まるで一本の赤い糸でもたどるように見えてくる。

 しかし、この種の圧倒的なリーダーの不在は、必ずしもマイナスにはならない。超はつかないリーダーでも、思考・決断・実行の面での柔軟性に富んでいればよいのだ。誰よりも一貫していたように見える大久保利通や木戸孝允でも若い頃は、攘夷派で脱藩まで考えていたのだから。要するに、日米通商条約締結から廃藩置県までの十三年間、日本の情勢は「どちらに転ぶのも有り」をくり返していたことになる。攘夷、開国、公武合体、そして廃藩置県へと。

 徳川幕府とは幕藩体制であり、そう呼ばれるからには、「幕府」と「諸藩」で成り立っていた体制ということになる。だから、徳川幕府を倒しただけでは幕藩体制を倒したことにはならないと、普通ならば考える。ところがこの「普通」にたどり着くまでに、十年以上も費やしたのだ。とはいえその十年は空費ではなかった。維新のリーダーであった下級武士たちは、上位の人々からは可能だと言われたことでも丸飲みにせず、一つ一つを自分たち自身の眼で見ていった末に、排除、と決めたのだから。

 まずは、公武合体の「公」。藩主に従いて朝廷側と接触していく過程で彼らは、朝廷側には人材がいないことを知る。当り前だ。蒙古襲来時に日本の防衛に起(た)ったのは北条幕府であって、朝廷がやったのは御祈祷だけ。歌詠みは上達したかもしれないが六百年以上も政治の経験をしてこなかった朝廷に、それ向きの人材が育つはずはない。岩倉一人と思うしかなかったろう。岩倉具視には、新しいアイデアを考え出す能力はなかったが、出された考えの有効性を直ちに見抜く知力と、それに積極的に加わる胆力はあった。

 しかし私には、下級武士たちによる日本大改革に朝廷側から最も力を貸したのは、天皇が若かったことであったと思えてならない。明治天皇が即位したのは十四歳の年。西郷と大久保は、これにもすぐに対処する。このときの宮廷改革には、薩摩藩士の吉井友実が送りこまれた。これまでの天皇の周囲を堅めていた女官たちは全員解雇。吉井は日記に記す。「数百年来の女権、ただ一日に打消し愉快きわまりなし」と。こうして若き天皇は御簾(みす)の外に出、士族で堅めた教授陣から諸学を学び、馬に乗り肉体も強健になり、高官たちとの会議にも出席して発言し(非直接的にしても)、完成したばかりの汽車にも乗り、東京と改名した江戸に行き、徳川側に立って抗戦した末に敗者になった東北地方にまで巡幸するようになっていく。そして、明治維新の仕上げという感じの東京への遷都。東京を首都と決めたのは、実に高度な政治感覚の現われであったと思う。京都は、言ってみれば勝者の都。あの時代の東京は、言ってみなくても敗者の都。その京都を排して東京を首都にしたことだけで、絶好の敗者対策になったのだから。

 それで公武合体派の「武」のほうの実態だが、これが破綻した理由は簡単だった。仲間割れになってしまったからで、つまりここでも、人材を欠いていたことが露わになったのだった。

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source : 文藝春秋 2024年5月号

genre : ニュース 社会 歴史