【地下鉄サリン】オウム死刑囚との「化学式」問答

平成アンタッチャブル事件簿

ニュース 社会
14人の命を奪い、被害者が6000人を超えたオウム真理教による地下鉄サリン事件。難航を極めた警察捜査の最重要ポイントは、猛毒の化学兵器を教団が生成したと証明することだった。当時、科捜研の研究員だった服藤氏が捜査秘話を明かす
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服藤氏

科捜研の捜査秘話

「急いで頼みます」

 その捜査員が、警視庁科学捜査研究所(科捜研)に駆け込んできたのは、1995年3月20日月曜日の朝9時5分頃でした。

「築地駅構内に停車中の、車両床面の液体を拭き取ったものです」

 彼が差し出すビニール袋は3重になっていて、薄黄色の粘性のある液体で湿った脱脂綿が入っていました。受け取りながら、尋ねました。

「現場の状況はどんな感じですか。被害者の方々は?」

「たくさんの人が咳き込んだり、うずくまったりしています。吐き気や、目や喉の痛みを訴えている人がほとんどです。症状のひどい人は、痙攣を起こしていたり、泡を吹いたりしています。心臓マッサージを始めている人もいます。それから、みんな一様に『暗い暗い』と言っています」

 当時、私は、科捜研で薬物と毒物の鑑定を担当する第二化学科の係長で、霞が関の警察総合庁舎に勤務していました。

 あの朝、8時前に出勤していた私が異変に気付いたのは、たくさんの救急車がサイレンを響かせながら集まってきたからです。その後、都心を走る複数の地下鉄で“異臭事件”が発生して多くの被害者が出ていることを警察無線で把握していました。

 被害者の症状を聞き、「有機リン系の毒物だ」と直感しました。通常なら農薬を想定するところですが、いやな予感が脳裏をよぎりました。前年の6月、長野県松本市の住宅街で猛毒の化学兵器サリンが散布され、死者8人、重軽傷者600人を出す大事件がありました。その犯人は、まだ捕まっていなかったからです。

 その捜査員は、一呼吸おいて不安げな様子で言いました。

「実は私も今、暗いんです。この部屋、電気ついてますよね? でも、夕方のように暗いんです」

 目を覗き込むと、瞳孔がピンホールのように小さくなっていて、手で影を作ってもピクリとも開きません。

「縮瞳が起こってる。早く警察病院に行ったほうがいい」と声をかけて帰しました。

 受け取った資料をすぐに鑑定しなければなりませんが、どこでやるか。通常、ガスが発生する資料を処理する際は、壁面に設置されたドラフトチャンバーという小型作業装置を使います。上下スライド式のガラス窓が付いた中に吸気装置が付いており、排気は無毒化されて排出されます。その中へ、手だけ入れて作業する。

 ところが、当時の科捜研にあったのは簡易ドラフトで、排気の無毒化装置が付いていません。しかも、吸引したガスの一部が廊下へ排出される仕組みです。これじゃダメだと考えた私は、ピンセット、毒物を抽出するための有機溶媒が入った共栓付き三角フラスコ、ビニール袋を持って、階段を駆け上がりました。

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地下鉄サリン事件

〈Sarin〉の文字

 屋上に着いてから、ゴム手袋とマスクを忘れたことに気づきました。しかし、部屋へ戻る時間が惜しい。少し吹いていた風を背にして、息を止めて作業しようと決めました。ひとつ目のビニール袋をほどき、フラスコを中へ入れます。最も内側の袋を開くときは息を止めて、長さ約30㎝のピンセットで慎重に脱脂綿を摘まみ上げ、フラスコに入れて素早く蓋をしました。

 溶媒に溶かしてしまえば、ほとんど揮発はしません。この抽出液を、ガスクロマトグラフ質量分析装置にかけました。9時34分、装置のモニター画面に、構造式と共に映し出されたのは〈Sarin〉という文字でした。

 警視庁は2日後、山梨県の上九一色村(当時)などに点在していたオウム真理教の施設に、強制捜査に入ります。そこから押収されたのは、宗教団体が所持するとは思えない大量の化学物質でした。毒物、劇物、薬品。数々の実験や兵器の製造記録もありました。

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強制捜査に入る捜査員

 オウム捜査は、オウムの科学を解明することが不可欠でした。といっても、現場の捜査員に専門知識が乏しいのは当たり前です。私はこうした資料の解析を任されただけでなく、科捜研から特別派遣されて、石川重明刑事部長と寺尾正大捜査一課長から直々に下命を受けたり、井上幸彦警視総監に直に報告を上げる立場になりました。

 服藤恵三氏(63)は東京理科大を卒業後、製薬会社勤務を経て、1981年に科捜研の研究員となり、医学博士号も取得していた。オウム事件で科学分野の捜査の重要性を認識した警視庁は、96年「科学捜査官」という特別捜査官職を新設。服藤氏は採用試験に合格し、任命第1号となる。

 他府県で発生した難事件にも派遣され、和歌山毒物カレー事件、ルーシー・ブラックマンさん失踪事件、長崎・佐賀連続保険金殺人、新宿歌舞伎町ビル火災などの捜査に、科学的立証の立場から尽力した。今年3月、自らの経験を『警視庁科学捜査官 難事件に科学で挑んだ男の極秘ファイル』(文藝春秋刊)として上梓した。

大学クラスの実験室

 4月3日、初めて上九へ行きました。3階建ての第7サティアンには、1日2トンのサリンを生成する計画のプラントが作られていました。

 第2厚生省大臣・土谷正実のホーリーネームをつけたクシティガルバ棟に入るとすぐ右側に、立派な反応釜がありました。エチレンガスを取り込む装置や、添加剤や反応促進剤を入れるホッパー、攪拌や加熱の装置もついていて、これなら何でも作れると直感しました。

 内部には、最先端の企業とまではいきませんが、大学の研究室クラスの設備が整った実験室がありました。自動で有機合成を行なう機械まで設置されていて、私にも使い道がわからなかったほどです。

 深夜に帰庁し、第1厚生省大臣・遠藤誠一のジーヴァカ棟では生物兵器やDNAの研究をしていた痕跡があること、クシティガルバ棟でもサリンなど化学兵器の合成が可能であることを、刑事部長と捜査一課長に報告しました。

「生物」を担当した遠藤が、炭そ菌、ボツリヌス菌などの培養と兵器化にことごとく失敗したのに対し、「化学」を担当した土谷は対照的な成果を上げた。オウムが使用したサリン、ホスゲン、VXなどの兵器、RDXやHMXなどの爆薬、覚せい剤、LSD、メスカリンなどの禁制薬物。そのほとんどすべての生成方法を、1人で確立していたのだ。

 1965年に東京で生まれた土谷は、筑波大学農林学類から大学院の化学研究科へ進み、有機物理化学を専攻。1989年に入信し、翌々年に出家した。
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土谷正実

捜査一課長からの「依頼」

「ハラさん、土谷に会ってきてくれませんか」と寺尾一課長に言われたのは、4月28日のこと。逮捕された土谷は完全黙秘だというのです。

「科学の話でもしてきてください」

 科捜研の職員は警察官ではありませんから、捜査や被疑者の取り調べは行ないません。科学者としての第三者的立場を確保するため、捜査員との接触さえ控えるのが普通です。ですからこの依頼は、きわめて異例なことでした。寺尾さんは、雑談に応じるきっかけでも作ってくれないかと考えたのだと思います。私も、科学を目指した者同士の話をしに行くつもりでした。

 少したつと、新橋庁舎に作られた「オウム真理教押収物分析センター」の小山金七係長から電話がかかってきました。別名「落としの金七」。寺尾さんの懐刀と呼ばれた名刑事です。

「服藤先生。土谷に会うんですって? いつですか」

「今日の夕方です」

「時間がないですね。土谷の学生時代や研究のことなど、調べておいたほうがいいと思います」

 とアドバイスをくれました。

 すぐ大学院の研究室に電話し、在学当時の研究内容や文献を送ってもらいました。彼が研究していたのは「光による有機化合物の化学反応」。分析化学が専門の私には詳細が理解できないものの、応用範囲は広そうな興味深いテーマでした。

 午後6時頃、地下鉄サリン事件の特別捜査本部がある築地署へ赴き、土谷を担当する取調官の係長を訪ねました。その調べ官が、

「ここにいる人は、偉い先生なんだぞ。お前のやってることなんか、全部わかってるんだからな。黙っててもダメだから。さっさとしゃべっちまえよ」

 と私を紹介しても、土谷は目を瞑ったまま。背筋を伸ばし、まさに瞑想しているような態度です。「これじゃ、私が声を掛けても答えないだろうな」というのが、第一印象でした。私は、土谷と2人きりにしてもらいました。

「オウムは最高だった」

「面白い研究してたんだね」

 大学院の研究内容から、少しずつ質問を始めました。すると目を開けて話を聞くようになり、頷いたり、返事をし始めました。

「大学院時代の研究は目標が見えなくて、ただただ日々を過ごしていた。このままでいいのかと、いつも思ってた」

「残って頑張れば、教授にもなれたんじゃないの?」

 そのとき、大きく首を振って「僕なんか無理ですよ」と言ったことが、強く印象に残っています。

「博士課程にも進んだけど、教授になれるほどの能力もないし、挫折しかかってた」

 そんなやり取りを続けてから、

「オウムはどうだったの? 研究はできたの?」

 と尋ねると、顔がパッと明るくなりました。

「最高だった。何でも好きな研究をさせてくれました」

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source : 文藝春秋 2021年6月号

genre : ニュース 社会