みのもんた引退宣言「テレビはやめても銀座はやめない」

「言の葉」とともに消えゆくのみ

みのもんた キャスター
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 みのもんた(本名・御法川(みのりかわ)法男)は、1944年生まれ。立教大学経済学部を卒業後、1967年に文化放送に入社。ラジオ番組「みのもんたのセイ!ヤング」などの担当を経て、1979年にはフリーに。1989年から司会を担当した情報番組「午後は○○おもいッきりテレビ」(日本テレビ系列)で人気を確立し、2006年には「1週間で最も多く生番組に出演する司会者」としてギネス世界記録に認定された。自身の個人事務所を兼ねる水道メーター製造・販売会社「ニッコク」の代表取締役社長も務める。

 今年1月には、MCを務めていた「秘密のケンミンSHOW」のリニューアルに伴い、3月いっぱいでの番組降板が明らかになった。降板後のレギュラー番組は無くなり、事実上の引退となる。30年以上にも及ぶ自身のテレビ人生を、みのが振り返った。

「俺、浮いてるな」

 違和感をもったのは去年の8月だったね。毎年2週間は夏休みをとるようにしていて、東京から離れてゆっくりしていたんです。その時に、録り溜めておいた「秘密のケンミンSHOW」(日本テレビ系列)をチェックしていた。そこで、皆の話に自分だけがついていけていないことに気づいたのです。

 たとえば味噌汁の話題になったとします。僕は「味噌汁っていいよね。地元で育った大豆を、酵母を使って熟成させて……それからこの湯気の感じもね」と、思いを乗せた話をしたいんだけど、周りはすでに「ハイ次は?」と話題を移そうとしている――そんなふうに、自分と周囲のテンポ感が全然違うということが、客観的に見て初めて分かったわけ。会話のテンポの遅れは、相手に不快感を与えてしまう。しかも、周囲にそれをフォローする余裕もないから、水と油みたいになってしまっている。「ああ、俺、浮いてるな」と、しみじみ感じちゃってね。「俺は迷惑をかけないように極力黙って、進行は久本(雅美)君が全部やったほうがいいんだろうな」という考えに自然と傾いていきました。

 降板をいつ切り出そうか迷っていたけど、読売テレビも、僕と思惑が一致してきていたんだろうね。今年の正月、番組スタッフ達と一杯飲んでいた時に「うまい感じでフェードアウト出来ないかな」って相談をもちかけたんです。すると、「いやー、私達も正直そう感じていました」と答えが返ってきた。もう長年つきあっていて友達みたいなもんだから、皆アッサリしてましたね(笑)。

使用ーminomonta-トリミング済みーアーカイブより
 
みのもんた氏

リニアにはついていけない

「秘密のケンミンSHOW」は2007年から始まり、今年で14年目に入ります。その途中の2013年、日本テレビに勤めていた次男が不祥事を起こしたため、「みのもんたの朝ズバッ!」「みのもんたのサタデーずばッと」(TBS系列)の2つの報道番組を降板することになりました。

 被害者の方をはじめ、ご迷惑をおかけした方々には本当に申し訳ないと思っています。ただ、いま振り返ってみても、凄まじいバッシングでした。もちろん僕への厳しい批判は仕方のないことですが、成人して独立した子供にまで「親の責任」が問われるのかという議論も、ちょっとは世間でしてほしかったな。これじゃ江戸時代にまで遡って一族郎党皆殺しですよ。昔は果し合いをやっても、勝者は敗者の亡骸にちゃんと手を合わせたと言いますよね。でも今は、亡骸を蹴飛ばしているからね。

 そんな渦中でも読売テレビさんは「『ケンミンSHOW』はバラエティーですから。うちは何と言われようと続けます」と言ってくださってね。こちらも「じゃあ続けさせていただきます。生活もかかってますし」なんて冗談を言って。あの番組にはそういう恩義もあります。視聴率がどこまで落ちるか不安だったけど、予想と逆でどんどん伸びていってね。ただ、テレビ朝日で同時間帯に「ドクターX」が始まると向こうに負けちゃうんだな(笑)。3カ月で最終回が終わると、またこっちがビューンと上がる。

 視聴率は絶えずトップクラスで、よくやってきたと思うんだけど、僕が年をとって色々な問題が出てきたね。相手が大きな声でバーンときたら、こちらも大きな声を出さなくちゃいけないんだけど、体力がなくて疲れてくる。「ケンミンSHOW」は2時間の収録を一気に2本やるから4時間立ちっぱなし。一気呵成でやる勢いもなくなってきて、やむなく、1時間収録したら途中で10分の休憩を入れてと頼むようになりました。

 降板を決めたことで、記者さんたちは「何か特別な理由があるに違いない」と思っていたようで、ある女性週刊誌は「干されたってことですよね?」と言うわけ。でも、そういう問題じゃない。視聴率はいいんだから、僕が降りる必要はないですよ。

使用ーminomonta-アーカイブより (2)
 

 だけどね、新幹線まではなんとかなるけど、リニアモーターカーのスピードにはついていけません。東京から乗ってベルトをする間もなく名古屋に到着というのは、ちょっときついですよ。そうやって自分が辛い思いをしてまで番組をやり続けることはないなと思っただけです。

「俺もこの世界にいたのにな」

 僕はもともとラジオからキャリアが始まった人間です。文化放送の入社3年目で、当時波が来ていた深夜放送の担当になり、「みのもんたのセイ!ヤング」がスタートしました。それが大人気になったけど、数年すると若いリスナーとの間に距離が出来てしまい、営業に異動させられることになってしまいました。スポンサーの商品の販売促進運動みたいな仕事でしたが、これが辛いんですよね。朝早くに車に商品を詰め込んで、スーパーを何軒も回って、「さあ、どうぞ、これを買ってください」と頭を下げて回りました。

 そんなこともあって35歳の時に文化放送を退職し、親父が経営していた水道メーターを製造・販売する会社(当時は日国工業)に入社しました。朝から晩まで、営業で走り回りましたね。全国のビジネスホテルを泊まり歩くという生活で、夜になって部屋でテレビを見るんです。当時はホテルのテレビって100円玉を入れないと見れなかったのよ。「もったいねぇな。缶ビールは1本だけで倹約しようかな」なんて、お酒を飲みながらテレビを見ていると、久米(宏)君が、黒柳徹子さんと音楽番組「ザ・ベストテン」の司会で活躍していてね。久米君は僕と同期で、ちょうど僕と同じ1979年にTBSを辞めてフリーになっていたんです。「うらやましいな。俺もこの世界にいたのにな……」なんて思ったりしました。見なけりゃいいのに、つい見ちゃうんだね。

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久米氏(左)と黒柳氏(右)

酔った勢いでアテレコ

 そんな生活を続けていたある日、フジテレビのスポーツ局長だった方から電話がかかってきた。「ラジオで野球放送をやっていましたよね。土曜日と日曜日の夜だけやってくれませんか」という話でした。「プロ野球ニュース」という番組で、佐々木信也さんが月曜日から金曜日までメインキャスターを務めていたんだけど、休日の枠が空いていたんです。平日は全国を営業で走り回っていたから、「土日だけならやれるな」と思って引き受けました。

 番組の担当になって3カ月目くらいだったかな。当時はドーム球場がないから、雨が降ると試合が中止になる。そうなると、アメリカのメジャーリーグの試合を垂れ流すんですよね。英語の実況でよく分からないから、僕はただ見ているだけ。

 当時、番組のスポンサーがサントリーで、「収録が終わったら飲んでください」と、でっかい冷蔵庫3つくらいにビールを入れておいてくれていたんです。でも、もうスタジオでやることがないわけだ。「終わったらって言ってたよな。終わったら……」なんて言いながらどんどん近づいていって、ついつい皆で飲んじゃってね(笑)。そしてまた、飲むと饒舌になっちゃうんだよね。

「なんだ今の。ヒットって言ったけどヒットじゃないよな。もう1回それ、ちょっとやってみないか?」

「おっ、マウンドに監督がやってきたよ。何か言ってるよ。そうか、わかったよ。イヤらしいことを言ってるんだ」

 酔った勢いに任せて、デタラメにアテレコしていたんです。最初は単なる内輪ウケで、雨の日だけふざけてやっていたんだけど、そのうちディレクターが「録音させてくれないか」と言ってきて。それを短くまとめて放送したのが大当たりして、すごい視聴率をとってね。「プロ野球珍プレー・好プレー大賞」という番組に繋がりました。そこから「なるほど!ザ・ワールド」(フジテレビ系列)の話がきたりして、テレビの仕事がどんどん増え始めましたね。

 テレビに出始めた頃、ある人にこんなことを言われました。

「君はそんなに語彙も豊富じゃないし、決まりきった『てにをは』しか使えない。でも、とにかく言葉を羅列して、喋り続けるだけでいい」

 ネタがあれば誰でもできる。ネタがない時にどうしたらいいか。そんな時には、じゃあネタを作るしかない。何でもネタはあるはずだ。だから、ただしゃべり続ければいい。それが良ければいいし、悪ければ悪いでかまわない――あらましそんなお話でした。

使用ーminomonta-アーカイブより (3)
 

 それまでは「てにをはを間違ってはいけない」「アクセントや抑揚に気をつけなくちゃいけない」「方言じゃなくて標準語で喋らなくちゃいけない」という様々なルールに囚われすぎて、ガチガチになっていた。そこから離れてもっと自由に喋っていいんじゃないかというヒントをいただいたんです。

 確かに、自分に何か武器になるものがあるかと考えた時、運動神経がよいわけでもないし、背が高いわけでもスタイルがいいわけでもない。最終的に行きついたのは、「平易な表現で、相手と対等に向かい合える」ことが自分の魅力なのではないかということでした。

 だからテレビの司会者としては、NHKの宮田輝さんや高橋圭三先生のような行儀のいい正統派は諦めて、ちょっと乱暴なトークショーを目指そうと思いました。でも、いきなり自由に喋れるかというと、そんなことはない。はじめは「ボロが出ると嫌だ」という恥や照れが先に立って、吹っ切れるまでにはなかなか時間がかかりましたね。

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宮田氏

 自分の喋りを批判されることもありましたけど、一方で、「みのもんたっていうのは、名前の通り、みのもんたなんだな」と言われたことがあってね。どういうことかと聞いたら、「地下鉄に乗って週刊誌の中吊り広告を見ると、『みのもんた』という文字は、小学生でも分かるような平仮名だからすぐに目に入る。喋りもそれと同じで、誰にでもすぐ分かる」と。だったらそれでいいのかな、と思ってここまでやってきました。それが、僕の喋りの原点だと思います。

「お嬢さん!」

「おもいッきりテレビ」は20年もやらせてもらったね。初代司会者は山本コウタローさんで、僕は始めは「あら見てたのね」というコーナーを担当させてもらっていたんです。定点カメラを1カ所に設置して10分間回しっぱなしにして、その映像にひたすらナレーションをつけろという乱暴な注文でしたね(笑)。

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「おもいッきりテレビ」で人気司会者に

 一番困ったのは石神井公園で池を撮っていた回。普通ならカモが泳いでいるとか、蝶々が飛んでくるとか、メダカが跳ねるとか何かしらあるんですよ。それが、全く何も起こらない。動きがないと喋りようがないけど、仕方なくくだらないことを話していました。

「春は花咲き夏茂る、秋は紅葉のほろほろと、冬は雪降るふるさとで……これで雪が降ったら面白いね」なんて。そうしたら、そこだけウケちゃって。ネタがない時は、とにかく喋り続ければいい。

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source : 文藝春秋 2020年4月号

genre : エンタメ 芸能 テレビ・ラジオ