ピーター・ティールのワンピース論

世界の終わりへの航海 前編

ピーター・ティール 起業家・PayPal共同創業者
サム・ウルフ ティールキャピタル リサーチャー&ライター
ニュース 国際 読書

「神」と「人」と「科学技術」をめぐる壮大な終末論的思索

(訳・解説 会田弘継)

ピーター・ティール氏 ©時事

P・ティールとは何者か

 2016年の米大統領選挙の共和党候補選びでトランプが躍進し始めたころ、日本の官界や知識層には、はなから高を括る姿勢が顕著だった。そんな中で、一部の観察者が鋭敏にアメリカで起きている地殻変動の気配を嗅ぎ取ったきっかけは、フェイスブックへの初期投資で同社を育てたり、オンライン決済サービスPayPalを共同創業したりして「シリコンバレーのドン」の異名をとっていたベンチャー投資家ピーター・ティールのトランプ支持表明だった。

 筆者自身、16年夏に全面的に民主党支持だったシリコンバレーの大物たちの中からティール1人が飛び出して、トランプを大統領候補に正式指名した共和党全国大会で演説をすると決まった時、米国の知人の若手保守派知識人が異様な興奮ぶりを見せていたのを思い出す。16年のトランプ当選後、政権移行チームに入ったティールはIT業界の大物たちをトランプに引き合わせたが、大物たちは当時「トランプ現象」の意味を見通せず、トランプと距離を置き高を括ったのは日本のエリート社会と同様だった。

 ティールは22年中間選挙で、かつて自分の下で投資家修業をしたJ・D・ヴァンスの上院議員選出馬を支援し当選させると、24年大統領選挙のトランプ返り咲きに当たっては、そのヴァンスを副大統領に据える工作の中心となった。ヴァンスをトランプの後釜にして、アメリカの新時代をつくり出そうとするティールの企図がのぞく。そうしたティールの目的は何なのか。

 一般にティールはIT業界によく見られる、自由な技術発展と市場原理を追求するテクノリバタリアンだとみなされてきた。ただ、16年のトランプ支持表明以降、主に米英の言論界でティール思想を探る動きが活発になり、その宗教的発言が注目されるようになってきた。母校スタンフォード大学での講義を基にした著書『ZERO to ONE』(原著2014年刊)も日本ではビジネス書と受け止められたが、スタンフォードで哲学を学んだ時の恩師であったフランス人ポストモダン哲学者ルネ・ジラールの模倣欲望論などの影響が強くうかがわれ、背後には独特の宗教観がのぞく。

 宗教系誌First Thingsに2025年10月1日付で発表された本論考(本号と次号に2回に分けて掲載。原題 Peter Thiel & Sam Wolfe, Voyages to the End of the World(「世界の終わりへの航海」))は、そうしたティールの思想的現在地と、彼がトランプ=ヴァンスを通じてアメリカを誘導していこうとする方向性を考える上で、貴重な判断材料となろう。

 論考のテーマは「神と人と科学技術」だ。前世紀に原子力の世界に踏み込み、さらにAIやバイオ技術の発展で人類は存在論的課題に向き合っている。その最先端に立つティールがキリスト教神学の知識を縦横に用い、果たして人類は「反キリスト」=滅亡の危機に直面しているのかを論じる。

 近代のはじめにそれを論じた哲学者F・ベーコンから『ガリヴァー旅行記』の風刺作家J・スウィフト、現代では世界的に話題を呼ぶ尾田栄一郎の未完の長編コミック『ワンピース』が重要な題材だ。

 なお『聖書』の引用は新共同訳と英語の欽定訳を参照、ベーコン『ニュー・アトランティス』は岩波文庫(川西進訳)、『ガリヴァー旅行記』は同文庫(平井正穂訳)を用いたが、一部は改変した。

(会田弘継)

F・ベーコンが描いた反キリストのユートピア

 近世イギリスの哲学者フランシス・ベーコンは、病気や自然災害をはじめ偶発的なものを根絶しようと夢見た。神をも廃することさえ夢見た。ベーコンの遺作となったユートピア中編小説『ニュー・アトランティス』(1627年)の隠れたテーマは神を廃する夢であり、近代への道程を描く予言の書として、あるいは悪魔の書として読むこともできる。同書が幕開けとなって始まった、隠れた文学論争はジョナサン・スウィフトを経て現代のコミック作家アラン・ムーア〔『ウォッチメン』の作者〕や尾田栄一郎〔『ワンピース』の作者〕らが継承していくことになる。4世紀の時空を超えて、これらの作家たちは問いかけ続けた。科学は反キリストを呼び起こすのか、それとも抑え込むのか。

ティール氏は「ワンピース」の最終回に注目している

 表向きには、ベーコンは近代科学をキリスト教とまったく両立し得るものとして提示してみせた。『ノヴム・オルガヌム(新機関)』で彼は「自然がその秘密を明かすのは、実験という拷問の下でのみだ」と記したが、これは「地の上を這う生き物をすべて(人間が)支配せよ」(創世記1:28)という神の教えを、やや暴力的に表現したものだ。ベーコンは広い知識と能弁をもって聖書を引用しているので、今日ではその信仰を疑う者はまずいない。彼は経験的実験と帰納的推論によって自然の秘密を解き明かす計画を示した。それは神の啓示とつながっており、私たちの苦境を救う「新たな慈悲」になると説いた。

 キリスト教以前の古代人にとって、進歩は帝国の興亡に左右された。古代ギリシャの歴史家トゥキディデスがアテネの名政治家ペリクレスの演説を捏造したとしても許すことができたのは、ペロポネソス戦争の教訓は時代を超越した永遠の真理だったからだ。トゥキディデスを信奉する歴史家は、20世紀初頭のヴィルヘルム帝政ドイツとイギリス、あるいは現代中国とアメリカを、古代の台頭するアテネと覇権国スパルタに例えるかもしれない。ただキリスト教徒なら、預言者ダニエルこそ最初の真の歴史家だとみなすはずだ。ダニエルは一度かぎりで起きた世界史的出来事を語った。歴史をバビロン、ペルシャなど四つの王国が順に登場するものとして描き、ローマ帝国が歴史の終わりになると考えたのだ。ただダニエル史観で歴史を見ようとしても、アテネもスパルタも核兵器を保有していなかったことを考えれば、この両者の古代の抗争を2025年の国際紛争に重ね合わせることには無理がある。ダニエルこそが最初の歴史家だとすると、新約聖書の神は最初の進歩史観の信奉者になるのだろうか。新約聖書がその新しさによって旧約聖書に取って代わり、神の啓示がまだ完結していないならば、キリスト教徒ならば「知識が増し」(ダニエル12:4)、発展が続く可能性を当然受け入れるべきであろう。その発展が、ベーコン的な科学という俗なる領域において起きることであろうと。

▶︎悪巧みを潜ませた傑作『ニュー・アトランティス』

 しかしベーコンとキリスト教との一致点はそこまでだ。『ニュー・アトランティス』で彼は全く新しい教義を説いた。1世紀前のトマス・モアの『ユートピア』と同様に『ニュー・アトランティス』は神秘的な未知の島を描いている。そこでは物事は見た目とは異なる。ベーコンはプロットの曖昧さや謎めいた言葉遣いに加えて、どこまで信じていいのか分からない語り手を用いて、読者を煙に巻く。まるで天才的な犯罪者のような巧妙さで『ニュー・アトランティス』を書いている。捕まることを恐れながら自らの犯行を記録しようと決意しているかのようだ。このベーコンの悪巧みを潜ませた傑作を解読するには、神学を用いて探偵のようにして臨まねばならない。

『ニュー・アトランティス』の物語は大自然に翻弄される場面から始まる。ヨーロッパ人キリスト教徒の乗り組んだ船団がペルーから西へ5カ月航海した後、風向きのままにベンサレム島に漂着する。ヘブライ語で「平和の子」あるいは「安全の子」を意味するベンサレムこそが新たな「アトランティス」である。プラトンが描いた旧アトランティス同様、ベンサレムは豊かな島国だ。旧アトランティスは富によって腐敗し、「ヨーロッパ全体、さらにアジアまでも攻撃する」計画を立てるほど貪欲になった(プラトン『ティマイオス』)。ゼウスは洪水でその文明を滅ぼし、アトランティス人の強欲を罰した。対照的に、ベンサレムは豊かでありながら徳を備えているように見える。ベンサレム人は船乗りのうちの病人を薬で治療し、島での居住を勧める。ベンサレムの技術が進んでいることを最初に思わせたのはこの薬であった。その後に登場するさまざまな発明には驚くべきものがあり、ゼウスでさえこの新しいアトランティスを滅ぼすことができるだろうかと疑問に思わせるほどだった。技術によりベンサレムは自然災害を乗り切り、それまで当然と思われてきた帝国興亡の循環を逃れている。このアトランティスは新しいだけでなく、一段と格が上がった存在なのだ。

「サロモンの家」あるいは「六日創造学院」と呼ばれるディープステートのような研究機関がベンサレムの技術開発に当たっている。前者の名前は哲人王ソロモンに敬意を表したものだ。ソロモンは旧約聖書のうちの三書を著しながら異邦人女性との結婚を禁じた律法を破った一方で、その英知はキリスト教徒と神秘主義であるヘルメス主義の信奉者の双方に敬われた。ただ神学者アウグスティヌスはソロモンが神に救済されたか疑っている。「六日創造」の由来は創世記が描く神による6日間の天地創造だが、学院が神の業を称えるのか、それともさらに野心的な試みを行うのかは、読み進まないと分からない。ベンサレムの科学者たちは天が下にあるあらゆるものを研究し、多くの新発見をしている。彼らは12年の派遣期間で間諜を送り出し、ヨーロッパの科学的発見を盗み出しており、ベンサレムについて「かすかに聞いたことさえない」船乗りたちを驚嘆させる。物語の後半で、学院の長老の1人が内部の「相談」について言及する。そこで「我々が発見した発明や実験のうち、どれを公開し、どれを非公開とするか」が決定されるという。

 ベンサレムは友好的に見えた。同時に秘密に包まれている。島の事情を尋ねる船乗りたちにキリスト教司祭は、こう答えた。「明かすことを許されない特定の事項は伏せねばならない」。不安がる船乗りたちに、司祭はベンサレムはキリスト教徒の島だから安心せよと諭した。ただ、その信仰は、「サロモンの家」が確かめた、ある奇跡に基づいているという。さらに多様な文化が根付いている、とも説明した。ベンサレムの人々は色鮮やかなターバンを巻き、トルコ風の杖を携えている。島の地名や建造物名の語源はギリシャ語からラテン語、ヘブライ語まで多岐にわたる。ベンサレムはそれ自体で独自のひとつの世界をかたちづくっていた。

 船乗りたちはベンサレムに魅了された。詩編137章6節の言葉を用いて、船乗りたちは司祭にこう告げる。「祈りの中で、尊い御身とこの国全体を忘れることなど万一あったら、我々の舌が口蓋に貼り付くでしょう」。詩編の中でこの言葉を用いたイスラエル人は、追放された聖都エルサレムを回想して語っていたのだ。地理的にも船乗りたちはエルサレムから遠く離れていた――ペルーから西へ5カ月の航海をしていたから、彼らはフランス領ポリネシア付近にいたことになる。地図上ではエルサレムとはまったく反対の地点にあたる。エルサレムから見てベンサレムが世界の果てにあることを、おそらく船乗りらは知らなかったのだろう。いずれにせよ、ベンサレムは彼らにとって聖地となった。やがてベンサレムの人々の「人情は厚く……(船乗りらは)故郷の懐かしいものをみな忘れてしまうほどだった」。

 ベーコンは物語の語り手を特定していないが、序盤で語り手が行う説教調の演説から船に専属する司祭(チャプレン)であるように思われる。乗組員らが一種の宗教的転向を行ったことは、この司祭を不安にさせたはずだ。ただ司祭は職務熱心ではなさそうだ。島で「6、7日」が経過したと記すだけだ。西へ航海したことで船乗りたちは1日を失い、司祭はもはや日曜日がどの日か分からなくなっていたのだろう。そのような時に司祭は、魅惑的な人物ジョアビンと出会う。複数の名前を持つジョアビンは「割礼を受けたユダヤ人」とも呼ばれ、アブラハムの忘れ去られた子であるナコランの末裔である。ジョアビンはキリストに「多くの高貴な特質」を見出していた。語り手はジョアビンを「賢い」と評する。この形容詞は他のベンサレム人の誰にも与えられておらず、「博識で思慮深く、ベンサレムの法と風習に精通している」とも評される。ジョアビンはベンサレムの性的道徳を説明し、子だくさんを称える一方で、謎めかすように島のことを「世界の中での汚れを知らぬ乙女」と呼んだ。

 汚れを知らぬ乙女の島が司祭を誘惑する。司祭はジョアビンに「ベンサレムの正義はヨーロッパの正義より上である」と告げた。そこに使いの者が現れ、ジョアビンは去った。翌朝、彼は戻り、12年間にわたり島から姿を消していた学院の長老の1人が翌週にやってくると告げた。ベンサレムは12年を任期として偵察任務に間諜を派遣している。この長老はヨーロッパから帰還したのかもしれない。凱旋行列と共に現れた長老は宝石を身にまとい、「人を憐れむような」表情を浮かべていた。3日後にジョアビンは吉報を伝えてきた。船乗りたちのベンサレム滞在を知った長老が、代表一人と面会する意向だという。定められた「その日、その時」(マタイ24:36)に、船乗りたちは司祭を代表として選出した。ベンサレムの不気味な物語は、語り手(そして読者)を学院の謎へと誘うところでクライマックスに達する。

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source : 文藝春秋 2026年2月号

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