天才ベガパンクは“科学の救済の力”を信じていた (訳・解説 会田弘継)
【後編のトピック】
『ウォッチメン』は反キリストの科学擁護
▶︎第二次大戦後の「ワン・ワールド」構想
▶︎「世界を見守り、人類最後の時を生きる者」というヒーロー像
▶︎時空を超越する天才科学者、ドクター・マンハッタン
▶︎ハードボイルドな善悪二元論者、ロールシャッハ
▶︎世界征服を画策する反キリストの黒幕、ヴェイト
▶︎ベーコンの反キリスト科学主義の現代版
▶︎文学としては成功、哲学・神学としては失敗
▶︎スーパーヒーロー漫画から海賊漫画へ
世界を席巻する『ワンピース』が示す“第三の道”
▶︎「世界を支配するのは誰か」という問い
▶︎反キリストとしての独裁者イム
▶︎「イム(imu)」と「ウミ(umi)」
▶︎最終局面で「ルフィはキリスト」が明らかに
▶︎「ジョイボーイ」とは何者か?
▶︎処刑を命じられる天才科学者、ベガパンク
▶︎「世界支配」でも「終末論」でもない
訳者解説

『ウォッチメン』は反キリストの科学擁護
著作の人気で判断するなら、スウィフトはベーコンとの論争で勝利したと言える。今日でも何百万もの読者が『ガリヴァー旅行記』に笑い転げている。思想の影響力で判断するなら、最終的にはベーコンが勝利した。スウィフトが懸念した科学技術による詐欺は、今日、憂鬱なほどまで現実味を帯びている。しかし全体として見れば、ベーコン流科学は予言したほぼ全てを実現した。スウィフトは科学者たちが胡瓜(きゅうり)で世界を照らそうとする試みを嘲笑したが、1879年にはエジソンが白熱電球で成功を収めた。ガリヴァーの孫たちが彼の航海を再現したければ、1780~90年代に英国船を高速化した銅板張り船体と鉄製接合、さらにその数十年後に登場した鉄製蒸気船で、迅速かつ安全に実現できたはずだ。19世紀のワクチン、自動車、電話、蒸気機関車は、スウィフトが描いたラガードではなくベーコンのベンサレムの予想が正しかったことを示した。
しかしスウィフトの空飛ぶ島は、科学の「軍民両用」問題を予見していた。サミュエル・コルトが最初のリボルバーを設計したのは1830年、リチャード・ガトリングが機関銃を製作する30年前であり、その6年後にはアルフレッド・ノーベルがダイナマイトを発明した。ノーベル賞創設で良心の呵責を和らげたノーベルは、この流れがどこへ向かうかを誰よりも理解していた。第一次世界大戦で起きた凄惨な殺戮にもかかわらず、さらに多くの死者を出す戦争が続いて起きるのを阻止できなかった。1943年までに、平和を待ち望む声が拡がる中で、米大統領選で共和党大統領候補だったことのあるウェンデル・ウィルキーが『ワン・ワールド』を出版した。この旅行記はスターリンの粛清を適当にごまかし(「スターリンは淡いパステル調の服を着る」と記したりしている)、世界政府樹立が望ましく、また必然だと主張した。『ワン・ワールド』はアメリカ史上最も売れたノンフィクション作品のひとつとなった。
▶︎第二次大戦後の「ワン・ワールド」構想
第一次世界大戦の激戦地ソンムでの機関銃の乱射がベーコン的楽観主義に傷をつけたならば、核兵器はそれを完全に吹き飛ばした。原爆開発を遂行したロスアラモスはベーコン的科学の目指した終着点であり、到達点でもあった。科学が世界を終わらせる手段を生み出した一方で、今や世界は科学を終わらせる手段を求めだした。『ワン・ワールド』は1946年のプロパガンダ映画『ワン・ワールドか、さもなくば滅亡か』へと変貌し、世界政府を遠い未来の希望ではなく差し迫った必要性があるものとして描いた。「国際連合は原子力の全世界的管理を確立せねばならない」と映画のナレーターは声を大にして訴えた。「選択は明白だ。それは生か死かである」。原爆開発者J・ロバート・オッペンハイマーも同意した。「世界政府なくして恒久平和はありえず、平和を達成できなければ原子爆弾戦争は避けられないと多くの者が言う。この見解に同意せざるを得ない」。
冷戦は「ワン・ワールド」構想に幕を引いた。しかし1963年、キューバ危機から1年も経たぬうちに、冷戦の闘士であるジョン・F・ケネディが躊躇しながらもこの構想を再燃させた。アメリカン大学卒業式での演説でケネディは「単に我々の時代の平和ではなく、永遠の平和」の夢を語った。この平和は「紛争を解決し……最終的に軍備を廃絶できる条件を整える国際システム」によって実現されるはずだった。ケネディ暗殺に米政界の関与を疑う者の中には、この演説が彼の運命を決定づけたと考える者もいる。
▶︎「世界を見守り、人類最後の時を生きる者」というヒーロー像
それから20年後、ハルマゲドンへと夢遊病のように向かう世界を目覚めさせるため、アラン・ムーアはスーパーヒーロー漫画『ウォッチメン』(1986~87年)を執筆した。これは反キリストを現代的に描いた作品である。『ウォッチメン』はパラレルワールドが舞台だ。冷戦は激化し、リベラルな国際秩序は終わったように見える。物語が始まる1985年にはリチャード・ニクソンが五期目の大統領を務めている、という想定だ。

ムーアのスーパーヒーローたちは二つの意味で「見張り人(ウォッチメン)」である。世界を見守る者であり、人類最後の時を生きる者だ。ムーアがタイトルの由来とした『イザヤ書』の「厳しい幻」は両方の意味を包含する。「わが主はわたしにこう言われた。『さあ、見張りを立てよ。見るところを報告させよ』」(イザヤ21:2、6)。『イザヤ書』の見張り人はバビロンの終末的崩壊を目撃する。『ウォッチメン』冒頭の血まみれのコマから、ムーアが繰り広げる世界にも同じ運命が待ち受けているように見える。各章の終わりには、真夜中へ向かって時刻を刻む世界終末時計が描かれる。核兵器時代において、ムーアのスーパーヒーローたちはどこか滑稽だ。1人を除き、超能力を持たない。だが、独立性と行動力がある彼らは危険な存在である。物語の中で市民の抗議者たちは「誰が見張り人を見張るのか」と、古代ローマの風刺詩人ユウェナリスの言葉を引用して叫ぶ。これに対し、物語の中で1977年にキーン上院議員の提案で制定された条例は政府公認以外のスーパーヒーローを非合法化しているという設定だ。それを受けて、ウォッチメンが1人ずつ殺害されていくところから、物語は始まる。
▶︎時空を超越する天才科学者、ドクター・マンハッタン
『ウォッチメン』で唯一の超能力者であるジョナサン・オスターマンは原子物理学者だ。実験室の事故でオスターマンは「ドクター・マンハッタン」へと変身する。彼は素粒子を操り、時空を超越する存在であり、人工知能と核兵器を融合させたような存在となっている。ドクター・マンハッタンは、現代における終末論的論理を強調するような存在でもある。このマンハッタンの脅威をもってしても冷戦を緩和できないなら、いったい何によればいいのか、とムーアは問う。
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