狼の父と、猫の私

追悼 落合信彦

落合 陽一 筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターセンター長
ライフ 国際 メディア

「たいした命じゃないんだから燃え尽きるまでやれ」

 2026年2月1日午前8時8分、父・落合信彦が老衰のため永眠した。享年84。国際ジャーナリストとして累計2000万部を超える著作を残し、ケネディ暗殺から冷戦の終結、同時多発テロに至るまで世界の転換点に立ち会い続けた男の最期は、東京の病院のベッドの上だった。

落合信彦氏 Ⓒ文藝春秋

 前日の夜、私は都内で蕎麦をすすっていた。大学の委員会の都合でサウジアラビアとカタールへの出張が直前に取りやめになり、本来ならその蕎麦のあとに成田へ向かうはずだった。食べ終えてタクシーに乗り込んだところで母から電話が入った。父が救急車で運ばれた、と。

 父はここ数年、入退院を繰り返していた。母は心配性で、搬送のたびに「もうダメだ、すぐ帰ってこい」と連絡を寄こしたが、その都度父は生還してきた。だから今回も半信半疑で「わかりました」と答えた。しかし救急隊員に電話を代わると、「昇圧剤を入れても血圧はやっと70いくかどうかです。厳しいです」と告げられた。病院に急いだ。

 医師からの説明は明快だった。腹部を開けてみなければ詳細は分からないが、既往歴を考えると手術中に亡くなる確率が極めて高い。延命治療か、BSC――ベスト・サポーティブ・ケアか選択してください、と。私は悩みBSCを選んだ。残された時間を家族で過ごすことのほうが大切だと判断した。入退院に慣れた母は「今回も1週間くらいで退院するんじゃないかしら」という顔をしていた。私はそうは思わなかった。

 ケアを受ける父の横で一晩を過ごしながら、父のことを次々に思い出していた。

 父はホテルニューオータニに30年近く連泊していた。部屋に仏壇を置き、執筆はすべてそこで行った。原稿に取りかかると10日間ほど誰も話しかけてはいけないというルールがあり、自宅には基本的に帰ってこなかった。30年間の連泊というのは尋常ではないが、仏壇があり、執筆用のデスクがあり、壁には世界各地で撮った写真が並んでいた。ホテルを出てからも執筆用の書斎の感じは一貫していた。ワードしか使わないのに晩年自宅でMac Proを使っていたのは父なりのこだわりだったのかもしれない。あの閉じた空間でひとり世界と向き合うのが父の流儀であり、ニューオータニの部屋こそが落合信彦の「現場」だったのかもしれない。

 父は子供を子供扱いしない人だった。会えば開口一番「クリントンの事をどう思う」と聞いてくる。答えが気に食わないと怒る。「ニーチェを読まないやつとはしゃべれない」と宣言するくせに本はくれないので、自分で本屋で探すしかなかった。小学生の頃からカミュやキルケゴールを勧められた。置き手紙は基本的に英語だった。不明な点を聞いても「自分で調べろ」としか返ってこない。世界情勢か、人生哲学か、「お前は何を成し遂げるつもりなのか」という問い。仕事と同じ作法で息子にも接していたのかもしれない。思い出すのは20歳を超えてからも「お前はまだ人生のスタートラインにすら立っていない」という薫陶を父が繰り返したことだ。

落合陽一氏 Ⓒ文藝春秋

 ただ、威圧する人ではなかった。マウントを取らず、自然に向き合ってくれる。ワインが好きで、シャトー・マルゴーが出てくることもあった。カツ丼も好きだった。母がピアノを弾くと演歌を歌い出す夜があった。国際ジャーナリストが演歌である。ハードボイルドを標榜していたが、案外やわらかい人だった。いつか時間ができたら、父に飲ませるワインを自分で作ろうと思っていたが間に合わなかったのは悔やまれる。

 父の周囲には常に人がいた。イスラエル空軍の将校、出自の怪しい人間、アメリカに亡命した中国共産党の関係者。サグラダ・ファミリアで働く彫刻家の外尾悦郎さん、角川春樹さん、黒川紀章さん。世間でも名の知れた「変わった人たち」が次々と出入りする環境だった。壁にはサッチャー元首相にインタビューしたときの写真、アウンサンスーチーとの対談記録が飾られていた。ネタニヤフ首相からは亡くなるまで新年のメッセージが届いていた。1980年代、マッキントッシュ発売前のウォズニアックにインタビューし、「次のコンピュータは誰でも使えるようになる」と日本の読者に伝えていたこと――あの時代の日本のプレゼンスを感じさせる仕事の痕跡がそこかしこにあった。

 父は日本の運転免許を持っていなかったはずだ。にもかかわらずベントレーを買う。運転するのは母だった。飛行機はファーストクラス以外乗らない。あるとき父はファーストクラスに座り、私をエコノミーに放り込んだ。腹が立った。ヘビースモーカーで、世界中どこでもタバコを吸っていた。禁煙の寿司屋で吸えないと知るや「二度とくるか」と出ていったこともある。無茶苦茶な話だ。

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ビールの歴史を変えた

 そうした父の全盛期を象徴するのが、1987年のスーパードライのCMだろう。その年の3月、アサヒビールは「スーパードライ」を発売した。「ドライ・アンド・ハード」のコンセプトに合致する人物として広告に起用されたのが父だった。初年度の売上は1350万箱。経営不振にあえいでいたアサヒビールの社運を変えた商品であり、父はその顔だった。海底油田プラットフォームにヘリで降り立つジャーナリストが、スーパードライを片手にカメラに向かう。父の死の翌日、アサヒビール社長名義で追悼のメッセージが出た。初代スーパードライの広告写真とともに「礎を築いていただいた恩人」と記されていた。今もあの銀色の缶が店頭に並んでいるのを見ると、父を思い出す。亡くなった日も多くの人がスーパードライ片手に父を偲んでくれた写真がSNSの上を駆け巡った。こんなにも色んな人に愛されていたのだと私は思い知った。

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source : 文藝春秋 2026年4月号

genre : ライフ 国際 メディア