私の知人に、子どもたちを集めて音楽教室を開いている人がいます。あるとき、来年は昭和100年だね、という話が出て、生徒たちに「昭和ってどういう時代だと思う?」と尋ねてみた。すると子どもたちからは「昭和って暗い時代でしょ」という答えが返ってきたというのです。
なるほど、やはり昭和といえば戦争というイメージなのだな、と思っていると、それだけではない、と言う。戦後の高度成長期も、パワハラやセクハラが横行し、長時間労働を強制された、いわば国中がブラック企業だった、というのが子どもたちのイメージだと。考えてみると、子どもたちの親も昭和よりも平成・令和を生きた人たちでしょう。平成世代から見ると、昭和の色は黒なのか、と感じました。
もちろんこれは単なる日常的なエピソードに過ぎません。子供たちやその親の世代が昭和をイメージとして捉えているように、すでに80代で若い世代との接触の少ない私も、彼らをイメージで語っていることになります。しかし、実体験や確実なデータから離れたところでは、人はイメージによって思考します。「昭和は暗い時代」というイメージにも、うなずけるところは多々あります。

「昭和100年」を迎えるということは、私の考えでは、昭和という時代、ことに敗戦に至る昭和前期が、完全に「歴史」に移行することを意味しています。敗戦の年、昭和20年からも80年が経つ。次第に戦争を体験した人も、それに続く占領時代を生きた人もいなくなっていく。すると、どうなるでしょうか。
ひとつは、昭和を、そこに生きた者の感情や利害を離れて、より客観的に、フラットに、残されたデータや資料、証言などをもとに、歴史研究の対象として見ることになるでしょう。もうひとつは、先にも見たように「イメージ」のみで語られるようになる。体験者が少なくなった戦前のみか、今でも多くの人が生きている「戦後」も、やがては実体験を欠いたイメージに基づく、後世の目、後世の価値観による「裁き」を受けることになります。これは「歴史の必然」でもあるでしょう。しかし、それだけでいいのか、昭和という時代にはもっと伝えるべきものがあるのではないか、とも思うのです。
少し時間を遡って、昭和43年、1968年は「明治100年」の年でした。この年の10月23日には日本政府主催の記念式典が行われています。このときの人々の反応は大きく4つに分かれていたと思います。ひとつは明治に生まれた人たちのノスタルジー。当時の首相、佐藤栄作(明治34年生まれ)をはじめ、多くの政治家や実業家は明治に少年期を過ごした世代です。昭和天皇も明治34年生まれでした。もうひとつはマルクス主義の学者、知識人たちを中心とした「明治国家帝国主義論」。彼らは、明治維新を、日本が侵略国家になっていく始まりと位置付けました。
3番目は、「明治肯定論」です。明治維新によって日本は近代国家への一歩を踏み出し、世界の先進国となっていった、という見方です。これは、昭和43年の日本は高度成長のただなかで、敗戦、戦後の苦難を乗り越え、経済大国として返り咲いた、という成功体験を明治に反映させたものだ、と考えられます。歴史にはこうした、セルフイメージの投影という要素が多分にあります。
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