竹下 登 踊るおじいちゃん

DAIGO 孫・ミュージシャン
ライフ 政治 昭和史 ライフスタイル 歴史

大蔵大臣時代にプラザ合意を成立させ、総理として消費税を導入するなど辣腕を振るった竹下登(1924〜2000)。孫のDAIGO氏の目に、総理である祖父はどう映っていたのか。

 74代内閣総理大臣だったおじいちゃん――竹下登に僕は一番可愛がられた孫だったと思います。母が三姉妹の次女で、昭和53(1978)年に生まれた僕は末っ子。祖父にとっては最後の孫でした。

 兄の博文の名前は伊藤博文さんから、7歳上の姉の栄子(漫画家の影木栄貴)も佐藤栄作さんや田中角栄さんから一字をもらい、祖父が名付けました。しかし僕は政治と関係ない「大湖」という少しおしゃれな名前。3人目で祖父も雑になったのか(笑)、両親が付けてくれました。

 我が家は毎週日曜日、東京の祖父の家に行くのがルーティン。僕が小学校に上がる頃、祖父は60代に差し掛かり、政治家として脂の乗った時期でした。家には秘書や支援者の方々が出入りしていて、居間には1日のスケジュールがびっしり書かれた紙が貼られていた。どうも普通の一族ではないことは子どもながらに察していました。

 ただ、祖父は忙しい合間を縫って、孫たちと相撲を取ったり、一緒にスキーに行ったりと、遊んでくれました。書斎に呼ばれ、政治や憲法の話をしてくれたこともあった。正直なところ退屈でしたが、子ども相手にも「もっと日本を良くしたい」と真面目に語る祖父は、本当に政治が大好きだったのだと思います。

竹下登 Ⓒ文藝春秋

 家族の置かれた環境に大きな変化があったのが、昭和62年11月。祖父が総理大臣になったのです。僕らが帰宅を待っていると、「アイムソーリー、ボクソーリー」とダジャレを言いながら玄関の扉を開けて入ってきた。本人は大笑いして欲しかったんだろうけど、家族の反応は「ややウケ」ぐらい。家族の前では意外とチャーミングで、突然、白鳥の湖を踊り始めたこともありました。

 家族から総理大臣が出ることの凄さは、周囲の反応で実感しました。小学校で文集に将来の夢を書くことがあり、僕は冗談で「総理大臣」と書きました。でも先生や友人が本気で受け止めてしまって大盛り上がり。二度と軽率に総理大臣になるなんて口にしないと固く誓いました。

有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。

記事もオンライン番組もすべて見放題
今だけ年額プラン50%OFF!

キャンペーン終了まで時間

月額プラン

初回登録は初月300円・1ヶ月更新

1,200円/月

初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。

オススメ! 期間限定

年額プラン

10,800円一括払い・1年更新

450円/月

定価10,800円のところ、
2025/1/6㊊正午まで初年度5,400円
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き

電子版+雑誌プラン

12,000円一括払い・1年更新

1,000円/月

※1年分一括のお支払いとなります
※トートバッグ付き
雑誌プランについて詳しく見る

有料会員になると…

日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!

  • 最新記事が発売前に読める
  • 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
  • 編集長による記事解説ニュースレターを配信
  • 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
  • 電子版オリジナル記事が読める
有料会員についてもっと詳しく見る

source : 文藝春秋 2025年1月号

genre : ライフ 政治 昭和史 ライフスタイル 歴史