日本を震撼させた平成の凶悪事件。事件後に流れた歳月は犯人・遺族の心境にどのような変化をもたらすのか。ノンフィクションライター、小野一光が現場を歩く。今回は「平成15年 福岡一家4人殺人事件」篇の第3回(全4回。第1回、第2回から読む)。
「捜査本部が解散してからしばらく経って、うちに何度か顔を出していた刑事さんが、異動するからってやって来たのよ。で、中国人3人のカネ目当ての犯行で捜査が終わったことについて、『俺の個人の話やけど、あれはありえん』って。だけど、県警がそう決めたからということで、納得するしかなかったみたい。当時起きていた同じような中国人の盗み目的の犯行だと、何でもかんでも持っていってたと。それこそバスタオルなんかまで持ち去ってたらしいけんね。だけどあの事件は宝石やら含めて、何一つ持って行ってない。ダイニングの扉を開けたらエルメスのバッグやらダーッとあったのに、そのままやからね」
03年6月20日に福岡県福岡市東区で、衣料品販売業を営む松本真二郎さん(享年41)一家4人が、中国人留学生3人に自宅で殺害、死体を遺棄された事件は、犯行後に帰国した先の中国で逮捕された王亮(犯行時21、以下同)と楊寧(23)、さらに日本で逮捕された魏巍(23)の3人による「カネ目当て」の犯行だということで、捜査は終結した。中国で無期懲役判決を受けた王は服役しているはずだが、楊は05年に中国で、魏は19年に日本で死刑が執行されている。
冒頭の言葉は、松本家と家族ぐるみで付き合いのあったBさんによるもの。Bさんもまた、事件から20年を経たいまも、その結末に納得していない一人だ。
犯行に至るまでの流れ
ここで、中国人留学生3人が来日以降、犯行に至るまでの流れを振り返ることにする。
王と楊はともに吉林省長春市出身。2歳年上の楊は00年に来日しており、福岡市内の日本語学校を経て、北九州市の私立大学に通っていた。そんな折、中国に住む王と楊の母親が、01年に近所での朝の水泳で知り合う。やがて02年になって王が、楊の通っていた福岡市の日本語学校に入学することになり、先に来ている楊を頼って連絡を入れたことで、日本での付き合いが始まったのである。その経緯は明らかになっていないが、犯行時に王と楊は、福岡市東区にある同じアパートで暮らしていた。
王が日本に来た年の、彼らふたりの生活については、福岡地裁で開かれた魏の一審での、検察側冒頭陳述に以下の記載がある。
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