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映画『スラムダンク』が中国人を感動させている本当の理由

興行収入120億円超

楊 駿驍 中国現代文学・文化研究者

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中国での観客動員数が1800万人を超えた映画『THE FIRST SLAM DUNK』。なぜ中国で『スラムダンク』にこれほどまで人気が集まるのか? 1990年に中国で生まれ、日本で育った、中国現代カルチャー研究者の楊氏が考察する。

北京大学での『FIRST SLAM DUNK』上映は異様な熱気に包まれた ©時事通信社

北京大学での封切り上映に観客4000人

 映画『THE FIRST SLAM DUNK』は4月15日に中国の最高学府である北京大学で封切られた。場所は映画館またはホールなどではなく、体育館である。

 27メートルもの幅の巨大スクリーンのまえにバスケットボールのコートが設えられ、その上に湘北高校のバスケットボール部5人の巨大ユニフォームが掲げられていた。

 4000人もの観客がそこで映画を鑑賞し、映画が終わったあとには、テレビアニメ版のエンディングテーマ『世界が終るまでは…』を大合唱した。それはもはや映画の鑑賞ではなく、スポーツ観戦やあるいはコンサートに近い何かだった。実際、そういう感想を抱いた人が多いようだ。また、『スラムダンク』ファンの有名人――映画監督、俳優、タレントなど――も多く駆けつけた。

 4月20日に全国上映されたが、4月15日の時点のチケットの予約人数は99万人で、興行収入は4000万元を超えていた。そして、現在(5月中旬)では観客数は1800万人、興行収入は6.53億元(約128億円)を超えている。

 中国における最大のレビューサイトである「豆瓣 douban」では、この映画に対する評価数は26万を超えており、コメント数も12万件以上、さらに長いレビューは2000件を超えている(5月28日時点)。グッズやフィギュアの売れ行きも絶好調である。

 映画館で見られる景色もまた、話題になっている。例えば、映画の主人公たちが所属する湘北高校バスケットボール部のユニフォームを着用して映画を鑑賞する人が多く見られた。まるでチームメイトの活躍を応援しているようであり、北京大学での封切りの時にバスケットボールのコートを設えたのと同じ心理の延長線上にあるものだろう。

 また、それとは別に、映画が始まるとスクリーンをスマートフォンなどで撮影する人、さらに長めの動画を撮る人が大量にいたということが数多く報告されている。「やはり中国人のマナーが……」と反射的に考えはじめた人は少し待ってほしい。このような現象はほかの映画の上映ではほとんど見られず、中国でも法律違反として強く咎められる。過去に個別にそういう人がいても、集団的な行動としてはかなり珍しいものである。つまり、『スラムダンク』という作品に対する強い思い入れが、法律を破ってまで彼らにそうさせたのだ。

 なぜ、『スラムダンク』という日本のアニメは中国でここまでの社会現象を引き起こしているのだろうか。何かの作品がここまでの反響を引き起こすのは、そこに単に「日本文化がブーム」というふうに単純に捉えることができないほど、あるいはそうするのがもったいないほど、複雑な背景と歴史があるからだ。

 中国人はなぜ『スラムダンク』に熱狂するのか? その謎を解く一つの鍵は“世代”にある。

 動員された1700万を超える人々の6割は、30歳以上であるというデータがある。間違いなく、ここには中国の一つの世代の特徴、ないしここ二十数年間の中国そのものを理解するための手がかりが隠されている。1990年に中国で生まれ、13歳まで吉林省で育ち、それから日本に移住した筆者が考える「中国における『スラムダンク』の影響」をお伝えしたい。

30~40代の「青春の教科書」

 中国で『スラムダンク』を知らない人はいない。

 私は普段「みんなその作品を知っている」というようなことを極力言わないようにしているが、『スラムダンク』に関しては断言できる。少なくとも、現在の中国の30~40代の男性の中で『スラムダンク』を知らない人はいないと自信をもって断言できる。

上海のイベントでの一幕 ©時事通信社

 なぜ30~40代なのか。この問題は中国におけるこの20~30年間の大激変に関わっている。

 2000年代初頭から、彼らは中国で1980年以降に生まれた世代として「80後(バーリンホウ)」と広く呼ばれるようになった。この「80後」は上の世代とのあいだに、あまりに大きなジェネレーション・ギャップを抱えた世代だ。

 1978年に改革開放政策が提起され、それまではほぼ鎖国状態にあった社会主義の中国はいわゆる市場化経済への移行をはじめ、国の門戸を開きはじめた。

 1992年までの模索期を経て、それ以降中国の経済成長が一気に加速していき、社会もそれに伴って大きく変化していった。つまり、「80後」はそのような激変の時期を生きてきた世代であり、上の世代が全く知らなかった世界や価値観に触れながら成長してきた世代である。

 改革開放前の中国は、文化大革命という大きな動乱期を経験していた。その時代は文学や演劇などの芸術は、革命思想を表現するごく一部のものに制限されていた。そのため、文化大革命後に中国では一種の文化的な空白状態が生じていたのだ。

 それに対して、1990年代の急速な市場経済化によって、香港や台湾を経由して多くの海外のゲーム、映画、音楽、アニメ、マンガなどが中国に(多くの場合は海賊版という形で)大量に輸入された。その中でも、1995年から1996年にかけて中国で放映された『スラムダンク』が圧倒的な支持を受けた。この作品では彼らにとって、全く新しく魅力的な世界が展開されていたからだ。

「80後」世代の若者たちにとって、『スラムダンク』はほぼはじめて現在の日本人が持っているような「青春」のイメージを提示した作品だった。それまで、中国にはスポーツに熱中し、仲間たちと切磋琢磨するという「青春」のコンセプト自体が存在しなかったのである。それまでの中国のアニメといえば、子供向けの幼稚なものや、国や親の意図に沿った教育目的の作品が主なものだったのだ。

 それに対して、『スラムダンク』は恋愛、仲間たちとの友情、夢のために頑張る熱血さなど、いずれもそれまでの中国の若者たちの生活にまったくなかったイメージを提供した。

 いくつか、中国人のファンたちのあいだで、よく取り上げられるシーンを挙げてみよう。キャプテンの赤木は、言うことをまったく聞かないやんちゃな主人公・桜木花道に手を焼いている。赤木がげんこつで桜木の頭にたんこぶを作るシーンは、アニメを見ていた人々にとっては定番のものだろう。中国人ファンがスラムダンクならではの“友情”を知った有名なシーンは、桜木のミスによって試合に負けてしまう海南戦にある。涙を流す桜木の頭に赤木が優しく手を置いて「これで終わりじゃねぇ/決勝リーグはまだ始まったばかりだ/泣くな」と言う場面は、2人の間に友情や絆が芽生え、桜木がチームメイトとともに成長していく様を象徴する感動的なシーンである。

 失敗を悔いるのではなく、チームメイトが一丸となってその試合で何を成し遂げ、これからの試合で何ができるかを考えようという希望がこのシーンにはある。そして、同時に、桜木花道の努力に対する肯定と期待を示す台詞にもなっている。

 ネットでの感想を見ると、多くの中国の若者はこのシーンから、「失敗こそ成長につながる」というメッセージを読み取っている。後に詳しく述べるような、中国のように競争が過剰な社会では、失敗すること自体がリスクであり、その人の能力のなさの証明である、という考え方が一般的になってしまっている。しかし、このシーンは結果がすべてなのではなく、仲間とともに失敗を受け入れ、その後の成長につなげることが重要だということを伝えることで、中国の読者に一種の開放感を与えている。

 また、「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という安西監督の名セリフは、中国でも人口に膾炙している。先日、ある中国の小さな田舎町の高校のバスケットボール部が北京の名門高校を破って全国大会で優勝したことがニュースになった。それを伝えるニュースでは「リアル・スラムダンク」と形容され、その熱血ぶりを安西監督のセリフを借りながら称える記事が出たほどだ。このセリフはメンバーである三井寿が中学時代にその言葉に励まされ、また後に彼が怪我のせいでバスケットボールをやめて、失意によって道を踏み外したあとも、再び戻ってくるきっかけともなった象徴的な一言である。

 三井が顔中を血だらけにして、泣きながら心から発した「安西先生……!!  バスケがしたいです………」という言葉には、あきらめていた自分への後悔や自責と、あきらめないことの大切さを思い出したときの安堵と希望が込められている。「ほんとうの自分」を手放さないことの価値を中国の若者が知ったシーンだ。

 主人公の桜木もまた、試合の相手校に圧倒的な点差をつけられ、あきらめかけたとき、安西監督からその言葉をかけられる。そして、再び立ち上がってコートに戻り、自分を信じ抜くことで、最終的に試合に勝つ。テクニックや才能だけでなく、夢を諦めないという不屈の精神こそが望ましい結果をもたらすというメッセージが込められたこのシーンは、中国の若者たちを鼓舞した。今でも、多くの人が自分の「人生を変えた名台詞」としてこのシーンを選んでいるほどである。

 私にとっても、このシーンには強い思い入れがある。

 大学受験をする際、どの専門の学科を選ぶべきか悩んでいたとき、当然のごとく中国人の親族からは「将来性のある専攻」、ようはお金や権力につながるような進学先を選ぶように言われた。私のほんとうにやりたいことは文学だったが、中国人の両親からはきわめて無意味な進路に映っていた。日本にいる外国人という不安定な立場から、なんとか前途有望な専攻を選ぶべきだというプレッシャーもあった。

 十代の私は、引き裂かれる思いのなか、現実逃避するように『スラムダンク』の漫画に読みふけった。そして、三井の「バスケがしたいです」というセリフを読み、文学専攻の学科に進学することを決心した。そうしなければ、三井のように後悔することになる――。

 これらの価値観やイメージは、いずれもそれまでの中国の若者たちの生活では存在しなかったものだった。そもそも一つの事実として、中国の中学、高校には誰もが参加できる「部活」という制度は存在しなかったし、現在もごく限られた学校のみそれをもっている状態である。バスケットボールの交流試合から全国大会まで上り詰めていくという、青春を託すことができるような、はっきりとした目標や努力の“舞台”が存在しなかった。そして、バスケットボールといったスポーツがそのような舞台になりうるとも思われていなかった。

 すなわち、『スラムダンク』は単に魅力的な物語を提供しただけでなく、それまで中国の若者の生活に存在しえなかった魅力的な“青春”を開示したのである。それは文字通り、「新世界」ともいうべきものだった。

 2000年代に日本の漫画などのサブカルチャーは中国の民主化を促す「革命の道具」として機能する、とする議論さえ日本で出ていたが、それがあまりに楽観的に過ぎたことを中国の青年たちは後々になって知ることになる。

中国人にとって「青春」はファンタジーだった

 中国では、「青春」という言葉は「80後」世代の中では「日本」のイメージと強く結びつけられている。

 桜舞う校門、放課後の部活、海が見える帰り道、踏み切り(とその向こうに見える好きな異性)、文化祭、運動会、体育館裏での告白……。挙げていくときりがないのだが、こういった日本のアニメでおなじみの青春の記号は中国でも「青春」というものイメージの多くの部分を構成している。

 中国人にとってもっとも象徴的なシーンはアニメ版『スラムダンク』のエンディングテーマにあるワンシーンである。主人公の桜木花道は江ノ電の鎌倉高校前駅付近の踏み切りの前に立ち、線路の向こうに桜木が想いを寄せているヒロインの赤木晴子とその友人たちの姿が見える。太陽の光を反射してきらきらと光る海を背景に向かい合う彼らの姿に、桜木の晴子に対する憧れの気持ち、近づきたいのに踏み切りのせいで近づけないもどかしさという、「青春」のイメージが象徴的に凝縮されている。そして、このシーンは日本を象徴するイメージとして「80後」世代の記憶に刻まれることになった。

 ただ、日本ではそれらが現実をベースにしており、それなりのリアリティを持っているのに対して、中国の若者たちにとって身近にあるものでは決してないため、一種のファンタジーというか、憧れに近いものとなっている。

 この「80後」世代の作家たちによる小説はしばしば「青春文学」や「キャンパス文学」と呼ばれていたことからもわかるように、「青春」は彼らの文学にとってもっとも重要なテーマの一つだった。そして、彼らが描く青春はそれまでの中国になかったものだった。

 例えば、青春文学の旗手である郭敬明というアイドル的作家が、日本のアニメの強い影響を受けているというのは中国では周知の事実である。そして、彼の会社に所属し、同じく青春に関する作品を多く執筆してきた作家の落落はかつて中国のウェブで日本アニメのレビュー記事を執筆していたし、日本を舞台とする写真集や小説を多く発表している(本人も日本語が話せる)。

 また、郭敬明が編集をつとめ、「80後」作家たちによる、世界各国の都市を巡るというテーマの紀行文集の人気シリーズがあるが、日本編では、東京でも京都でもなく、なんと『スラムダンク』の舞台である「神奈川」が舞台として選ばれている。

 商業的な利益を重視することで有名な郭敬明が「神奈川」を選んだのは、『スラムダンク』を見て育った世代において、作品の舞台である神奈川、その中でも鎌倉が「80後」世代にとって「青春」を象徴する聖地となっているからである。

 例えば、かつて中国のバスケットボールのナショナルチームでキャプテンを務めていた、89年生まれの周鵬選手は2017年に妻と一緒に鎌倉を訪れ、上で挙げたエンディングテーマの踏み切りのシーンを再現した写真を自身のSNSに投稿し、話題を呼んだ。

 筆者と同年代の、それほど『スラムダンク』ファンでもない女性の友人も前に中国から日本に旅行に訪れたとき、飛行機を降りたあとに真っ先に向かったのが鎌倉高校前駅だった。その意味でそこはアニメファンにとっての聖地以上に、むしろ誰もが訪れ定番スポットになっているといえる。

 筆者が最近驚いたのは、中国の蘇州市にこのアニメシーンにあるこの鎌倉の風景――踏み切りや江ノ電の車両など――を完全に再現した「小鎌倉」という観光スポットが作られていたことだ。さらに、再現しようとして作られたわけではないにもかかわらず、「鎌倉」の風景のイメージに似ているとして、SNSなどで若者たちによって「小鎌倉」と呼ばれる観光スポットが中国各地に存在していることだ。

 若者たちは中国の土地にまで日本の風景と結びついた「青春」のイメージを重ねようとしているのである。

 では、なぜ彼らにとって日本のイメージと結びついた「青春」というものがかくも重要だったのだろうか。

 ここで少しだけ、中国における「青年」の歴史の話をしよう。

 そもそも中国の近代化が可能となったのは、西洋の知識を積極的に吸収し、中国の改革に用いた「新青年」たちである。歴史の教科書に必ず載る、中国を大きく動かした1919年の「五四運動」はまさに青年たちの運動だったし、その思想的、文化的な基盤を作ったのも『新青年』という雑誌だった。彼らの歴史的な使命は国を変え、救うことだった。

 文化大革命時に毛沢東が動員したのも青年や少年たちだった。彼らは毛沢東の呼びかけに応じて、全国各地で闘争を繰り広げ、社会と文化に甚大なダメージをもたらした。彼らに期待され、そして彼らが引き受けていた役割は「新青年」のそれと同じく、国、もしくは世界中の抑圧された人民を救うことだったのである。革命のためなら自らを犠牲にすることもいとわない。

かつての青年たちは「イデオロギー」に身を投じた ©時事通信社

 つまり、中国の近代史において「青年」というものは国やイデオロギーに奉仕する者たち、もしくはそう期待されている者たちのことだったといえる。

 それに対して、改革開放時代において、自分自身のために生きることが可能となった「80後」世代、そして彼らの感性を代表する作家たちにとって、重要なのは国や革命、人民といった「大きな何か」ではなく、あくまで個人としての内面や自由になった。

 青年は国や革命といった大きなものを担うという役割から解放され、個人の内面や自由といった問題に取り組むようになったということである。

 日本では「青春」はしばしば「モラトリアム」と呼ばれ、学生などが社会的な責任や義務を負うことなく、「あれこれについて悩み、いろいろな可能性に触れながら試行錯誤する時期」といった意味で捉えられてきた。

『スラムダンク』によって代表される日本のサブカルチャーが提供する「青春」のイメージは、まさに「あれこれの可能性について模索」し、自分にとっていちばん相応しい道を探すものとして、「80後」のそのような新しい個人の実現を目指す思春期にある若者たちに一つのモデルケースを提供したと考えられる。

「チャイナ・ドリーム」に破れて

『スラムダンク』というアニメの中でもっとも受け入れられていた要素の一つに「熱血」がある。

 中国の近代史における青年はもちろん「熱血」だった。熱血がなければ革命を起こして国を変えようなんて思わないし、できないはずである。若い紅衛兵たちはその熱血のために人の尊厳を踏みにじり、死に追いやることもいとわないほど「熱血」だった。

 しかし、上で述べたように、その熱血が何のためのものか、大きなもののためか、それとも自分の自由のためかでだいぶ異なるものになる。

「80後」世代とそれ以降の世代にとって重要だったのは、個人の自己実現である。それは仕事における成功であったり、学業における達成だったりする。頑張れば成功できる、ということが盛んに言われるようになった。

 成功をめざすのはもちろんいいことである。湘北高校のバスケットボール部のメンバーたちのように全国大会で優勝する、というのも成功の一つの形だろう。どのような形の成功を目指すかは、日本人にとっては当たり前のことだが、個人の自由に委ねられている。

中国版『SLAM DUNK』

 しかし、中国で言われる文脈の「成功」は「外的な基準に照らして、他人よりもはるかに良い状態にあること」を指す場合が圧倒的に多い。つまり、頑張れば他人より多くのものを手に入れられるという考え方が広まっていった。そして、この「より多くのもの」とは基本的に権力、地位、金銭といったものに絞られていく。これらのものはだいたい一つを手に入れれば他はついてくるものでもあるので、実質的に成功の基準は一本化していった。

 これがいわゆる中国の夢(チャイナドリーム)の正体であり、「80後」世代ははじめてその夢に魅せられた世代である。

 しかし、中国の改革開放は単に自由な市場経済をもたらしただけでなく、その一方で、それまでの社会形態の解体も引き起こし、生活全体を不安定化させた。チャンスとリスク、自由と過酷さの両方が中国社会にもたらされる。

 夢を追って自己実現しようとする者や、安定した生活を手に入れようとする者など、若い世代はさまざまな思いで中国全体の変化の渦に巻き込まれていった。しかし、どんな思いをもっていたにせよ、社会的な上昇を実現する方法は一つしかない。すなわち、「競争」、それも過剰な競争を勝ち抜くことである。

 イメージしやすくするために、「80後」の代表的なSF作家であり、中国の政府系機関のシンクタンクに勤めたこともある郝景芳が「80後」世代の生活を描いた『1984年に生まれて』(櫻庭ゆみ子 訳、中央公論新社、2020年)における一節を見てみよう。

[小学]五年生の夏私は漫画に夢中になった。期末テストはできが悪かった。休み前の総括の時に先生はこのようにも言った。「中学に上がる前のテストは最も重要なテストです。一生を決めるテスト大学入試よりもさらに肝心かなめのテストです。いい中学に受かって初めていい高校に行けます。いい高校に行くことができて初めていい大学に合格できるのです。いい中学に入れなければ後で大学に行ける可能性はとても低くなります。いい大学に入れなければいい仕事に就くことはできません。ですから、中学のテストは人生を決めるのです。皆さん、必ずきちんと宿題をやるのですよ。決して油断してはいけませんよ」
運命が前方からのしかかってくる。目を閉じると自分の人生が窓枠にくぎ付けにされているのが見える。ホレッ、これがお前の場所、お前の未来だ。これが教室の中に座っていること、周りにある全ての物事の意味だ。

 いい仕事につくことで、お金も地位も権力も手に入れること、それによって生活の安定を実現するために、小学生から競争を勝ち抜かなければならない。それがほとんど運命のように動かしがたいものとして感じられているのは、ほかに可能性がない、もしくはつぶされてしまったからだろう。

 言ってみれば、中国の教育は多様な人材を育てるよりも、一つしかない基準のなかでの「エリート」を選抜するためにあるといってもいい。そのため、自己実現の形、ないし人生の幸せの形もまたその一つだけの基準によって独占されてしまう。

 金敬哲『韓国 行き過ぎた資本主義 「無限競争社会」の苦悩 』(講談社現代新書、2019年)では、過剰な競争に悩まされる韓国社会について紹介しており、その例として受験競争の過酷さがあげられている。その理由の一つに「圧縮された近代化」、すなわち日本で何十年もかけて起こった社会変動がわずか十数年に圧縮されることによって社会が一気に変化し、競争が激しくなってしまうことが挙げられている。

 そのような韓国に対して、中国の場合は圧縮の度合いがさらに激しく、規模が大きい。その競争の激しさは想像を絶するものであることがわかるはずだ。

 2000年代初頭では、大学卒業生の数が凄まじいスピードで増加していった。2004年の280万人から,2005年の338万人、2007年の495万人というふうに3年で200万人増え、2008年には559万人まで増えていった。4年で2倍以上に増えた計算になる。2022年現在では大学卒業生の数が1076万人と、1000万人を突破しており、未曾有の規模の就職難に直面している。

 そのため、せっかく大学に入って卒業したのに、ちゃんと望み通りのいい仕事にありつけない人、すなわち高学歴ワーキングプアも大量に出てくる。彼らは夢と理想を諦められずに大都市でチャンスを探り当てようとしながら、その高い生活コストを少しでも減らそうと郊外の安いアパートの劣悪な環境の中で集団生活を送る。

 2009年に彼らの生活を詳細に取り上げて分析した著書『蟻族 高学歴ワーキングプアたちの群れ』(廉思編、関根謙監訳、勉誠出版、2010年)で彼らの特徴を「学歴、(個体として)弱い、群居」としてまとめ、総じて蟻の生態に似ているとして「蟻族」と比喩的に呼んだ。「蟻族」という「80後」集団が話題となり、中国社会で広く認知されるようになった。著者の廉思は彼らの心理状態を次のように描いている。

『蟻族 高学歴ワーキングプアたちの群れ』(廉思著、関根謙訳、勉誠出版、2010年)

 活力と理想にあふれ、野心や挑戦する意気込みを持っている。大学教育が知識と教養を与え、美しい未来を約束していた。しかし、就職後の状況や「群居村」での生活に、青春の夢を託す場所はなく、焦りや方向の定まらない暗澹とした日々を耐え忍ぶことを身につけた。しかし同時に、楽観的で明るくもあり、自分の選択を信じ、下層から這い上がることを厭わず、ゆっくりとした積み重ねや下積みのなかで未来の飛躍を期待しているのである。

 夢と現実、成功と競争、輝かしい未来と惨めな現在、それらの間に巨大な溝が走っている。しかし、『スラムダンク』などの努力で目標を実現させる新しい世界観と青春観に触れた「80後」の「蟻族」たちは、巨大な溝と落差によって引き裂かれていながらも、自分たちの「熱血さ」をもってその溝を埋めようとしたのである。

 しかし、客観的にみて、それだけの大学卒業生を受け入れられるだけの、都市のホワイトカラーのポストの数はなく、ほとんどの人は最終的に失敗、もしくは妥協する運命に逆らえなかった。

「これで青春にさようならが言えた」

 その意味で、「80後」は自由を知り、夢を追った世代でありながら、同時にその難しさ、ないし不可能性について身をもって知った世代でもある。

『THE FIRST SLAM DUNK』を観に行く理由として、多くの80後以降の世代は「青春にさようならを言うために観るんだ」と言う。また、鑑賞した後に「これで青春にさようならが言えた」、「青春に句点を打つことができた」といった感想をもらす人も多い。

「青春にさようならを言う」とはどういうことなのだろうか。

 上で見てきた背景を考慮に入れると、それはより良い可能性を求め、自分の夢を実現したい一心でがむしゃらに頑張ってきた自分の執着心を、手放すことができたという意味ではないだろうか。

『スラムダンク』によって代表される日本のアニメや漫画を通して「青春」を知り、新しい自由な世界を目にして、強く渇望した若い世代は、現実での失敗、挫折、妥協を経て、自分は桜木花道や流川楓のような天才ではないという事実を受け入れることができたということなのではないか。

 原作漫画『スラムダンク』は敗北して終わる物語だった。そして、90年代を生きた多くの中国の若者にはその終わり方が不可解だった。筆者も、周りにいた友人たちもみなその終わり方に憤慨していた。

「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という湘北高校の顧問である安西先生の有名な言葉があるが、中国でも青春と努力を象徴する言葉として「80後」世代の記憶に刻まれている。

「諦めずに努力していけば必ず報われる」という作品が見せてくれた美しい青春の信念を、なぜ最後の最後で裏切ってしまうのか。

 ちゃんと湘北高校バスケットボール部に全国大会で優勝してほしかったというのはもちろんそうだが、彼らに対する期待というよりも、当時の自分たちに対する期待からしてそうなってほしかったのだ。
でも、今や中年となった「80後」はむしろ漫画版の結末はそうなるべくしてなったのだと理解できるようになった。諦めずに努力すれば必ず報われるとは限らない、という“残酷な現実”を彼ら自身も挫折を通じて理解するまで長い時間がかかったとも言えるだろう。

『THE FIRST SLAM DUNK』の主人公が天才の桜木花道や流川楓ではなく、どちらかと言うと「普通」の人である宮城リョータに設定されていたことも共感を呼んだようだ。彼らが感情移入する対象が、努力する天才から自分たちと同じような「普通」の人に変わったのである。

「寝そべり主義」はなぜ生まれた?

 しかし、現実の過酷さを理解することは、それを受け入れることとは違う。現在では、過激な競争社会、高すぎる生活コストはさらに過酷な形で「80後」、「90後(ジュオリンホウ)」(90年代生まれ)、「00後(リンリンホウ)」(2000年代生まれ)を襲うようになった。そして、それを拒否しなければ生きていけないところまで来ているように見える。

 大学卒業だけでは就職市場で有利になれないので、多くの卒業生は大学院に進学する。競争がインフレーションを起こしてどんどんハイレベルなものになっていっているのだ。

 国内だけでは大学院進学希望者のごく少数しか実際に進学できないので、多くの学生は海外に目を向ける。実際海外の大学院を出た者は就職に有利だと言われているため、競争の舞台が海外へと拡大していく。

 例えば筆者が所属している早稲田大学では多くの中国人留学生を受け入れており、近くの早稲田駅や高田馬場駅では中国語だけの進学塾の広告看板がいたるところにある。さらに、高田馬場は「ガチ中華」と呼ばれる中国人向けの本格中華料理屋が多く出店されている。すれ違う人の3人に2人が中国語を話しているなんて日もある。一瞬日本にいることを忘れてしまう感覚に襲われる。

 池袋は昔からそのような雰囲気だったが、高田馬場はこの数年の間で急速に中国化していったのである。

 横浜の中華街の近くで育った筆者からすると、いまや高田馬場や池袋などは横浜の中華街よりも中国らしいように思える。

 とはいえ、海外に行けるのはごく一部の、経済的に恵まれている人たちのみで、多くの人は中国国内でもがきつづけることになるが、海外から戻ってきた人たちには勝てるはずもない。二重に「負け戦」を強いられているような状況だ。

 そのような過剰な競争によって、競争のインフレーションが起こってしまう。例えば、大したことのない事務仕事にハーバード大学や東京大学の大学院で修士号を取った人がついていたりすることもある。そのような状況を中国では「内巻(ネイジュエン)」と呼び、特に「90後」以降の世代の間で流行語となり、広く使われるようになっている。

 それが意味するのは、多くの若者が自分の置かれている状況を把握し、その状況を客観的に見ることができるほど距離をおき、醒めているということだ。競争するしかないときは、とにかくその中で勝ち抜くことしか考えられないが、概念として言語化された途端、「この状況って変じゃないか」という反省と再考の意識が芽生える。

 その反省と再考を象徴する一つのムーブメントが「寝そべり主義」である。これも中国で2021年頃から若者の間で広く使われた流行語だ。

 寝そべり主義とは、一元的な価値観の支配する中国社会における過酷な労働状況や過剰な競争に抗うために、それを現実的に変えることの難しさを理解しているがゆえに、現実を実際に変える方向性ではなく、寝そべって「何もしない」ことを一種の実践もしくは思考の志向として採用することを指す。
元々はそれに似たような発言が中国のウェブ掲示板で投稿されて、ウェブ上のさまざまな議論や投稿を経て、最終的に2021年4月17日にネットユーザーの「好心的旅行家」の掲示板の投稿「寝そべりこそ正義」によって、一種の“主義”と呼ばれるようにまでなったのである。

 その投稿の内容を見てみよう。

 2年以上働いていない。ずっと遊んでいる。どこか間違っているとも思わない。プレッシャーはおもに自分の周りの人と比較した後に見つけた立ち位置や、上の世代の伝統的な観念に由来する。それらは四六時中自分のまわりに現れている。いつも見ているトレンドのニュースも全部タレントの恋愛や妊娠のような「生育関係」のものだ。まるで「見えない生物」がある思考を製造し、押し付けてくるようだ。人間はこんなふうに生きなくてもいい。ディオゲネスのように自分の樽の中で横になって日向ぼっこをしてもいいし、ヘラクレイトスのように洞窟の中で「ロゴス」について思考してもいい。この土地に人間の主体性を高く掲げる思潮が現実に存在しないなら、私は自分のためにそれを作り出すことができる。寝そべることこそ私の賢者の運動であり、寝そべることでしか、人間が万物の尺度となれないのだ。

「人間はこんなふうに生きなくてもいい」というフレーズから、中国社会の過剰な競争とそれによって生じる生きづらさに対する拒否と、外部の基準に頼らない、自分だけの生き方に対する肯定が見える。

 この「寝そべり主義」は諦めの感覚、退廃的な心理などネガティブな思想を宣揚しているとして、中国の政府から公式的に強く非難されている。

『スラムダンク』における「あきらめたらそこで試合終了ですよ」という熱血と努力の言葉が80後、90後世代を夢へと駆り立て、競争のコートに立たせつづけた。それに対して、いまや彼らは寝そべること、すなわち諦めることを肯定している。

 多くの論者が「諦め」、「無力感」、「消極的な抵抗」といった形で「寝そべり主義」を語ることが多い。

 しかし、「寝そべり主義」は単に現実において寝そべって何もしないのではなく、何もしないこともまた人生の形の一つだということを強調することで、別の労働、別の文化、別の人生の可能性を仄めかし、「現実は別様でもありうる」という多様性を取り戻そうとしているとも言えるかもしれない。

 競争から寝そべり主義への変化は、「もう無理、でも頑張らないと」から「すべてをあきらめよう」への変化ではなく、「もう無理、でも頑張らないと」から「もう無理、いったんこれをやめにして、寝そべってほかに何がしたいか考えてみよう」への変化というイメージになるだろう。

 その意味で、「寝そべる」という行為はさきほど引用したネットユーザーのいう「人間の主体性」、すなわち「私はこうしたい」「私はこうもできるはずである」という積極性を、外部の基準による押し付けではなく、自らの心にしたがって自分のために作り出そうとして選ばれた、ある種の極端な思考実験でもある。

「80後」世代の観客たちは、夢を諦めた者として『スラムダンク』が象徴する「青春」にさようならを言ったが、それは別の夢を新たに見るために必要なことなのかもしれない。しかし、その夢がただの現実逃避なのか否かは、歴史が証明することになるだろう。

source : 文藝春秋

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