特撮とテロル 第2回

山上徹也と木村隆二 二人の“テロリスト”の声はなぜ黙殺されるのか

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『シン・仮面ライダー』で庵野秀明は一体、何に反抗したのか。山上徹也と木村隆二という二人の“テロリスト”の声はなぜ黙殺されるのか。山口二矢からネオ麦茶、加藤智大、青葉真司までテロルの系譜を辿る、批評家・大塚英志氏による短期集中連載第2回(「特撮とテロル 第1回」はこちら)。

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令和の“二人のテロリスト”

 山上徹也と木村隆二という、二人のテロリストに対してはその「動機」を考えること自体が更なるテロを誘発する悪しき考え方だという議論が今回、強く語られた。オンラインでまず、そういう主張が喧伝され、事件の2、3日後にはワイドショーで企業家系のコメンテーターが木村の事件について扱うこと自体がおかしいと少し驚くような激しい口調で言うのを見た。

『報道ステーション』では犯罪学者が動機をもっぱら「承認欲求だ」という個人的な問題に帰結させ、内田樹のようなリベラルな人もSNSでこう発言している。

 東京新聞から、岸田首相襲撃事件についての電話インタビュー。「どうしてこういう犯人が出てくるんでしょう」というので、「社会的承認の要求ラインが上がりすぎだからじゃないですか」という話をしました。
(内田樹 @levinassien 4月17日)

 やはり承認欲求論に穏当に収めてしまう。

 テロリストについて考えることが強く忌避され、しかし、『ライダー』はテロルを語る。奇妙な言い方だが、良くも悪くも新海誠が天皇を語ったように、テロルもまた特撮によって語られる。無論、『BLACK SUN』は山上の事件より後だし、木村は『ハルヒ』は読んでいても多分、二つの『ライダー』とは出会っていない。

谷川流著『涼宮ハルヒの憂鬱』角川スニーカー文庫

 しかし、山上や木村のような青年がテロリズムと出会うのは、本来、文学の権能であった。その権能を二つのライダーは意図してか意図せずしてか引き受けようとしている。

 だからここで改めて、文学の権能の一つにテロリストについて考えることが含まれる、と敢えてそう書いてみる。少なくともそういう「文学」の系譜がこの国の近代にあったことは事実だ。

 そして、それはこの国の近代に以下の「詩」としてまず表現されたことは誰でも知っていた。

 われは知る、テロリストの
 かなしき心を――
 言葉とおこなひとを分ちがたき
 ただひとつの心を、
 奪はれたる言葉のかはりに
 おこなひをもて語らむとする心を、

(石川啄木「ココアのひと匙」)

 大逆事件に連座し刑死した人々の「心」と失われた「ことば」を石川啄木が想った詩である。

 詩や短歌が近代以前の形式からそこに「西欧」を無理やり接ぎ木した新体詩を経て、近代的な自我というと陳腐だが、しかし、ひとまずそう呼ぶしかないものを最初に詩にした一人が啄木であることに異論はないだろう。

 そして啄木はテロリストではなかったが、テロリスト志願者や未遂者の多くは詩や文学の創り手である。

かつての文学はテロの想像力を補完した

 例えば、当初は二人のライダーのうちの一人にその像が投影されているのかもしれないと思いもした、ギロチン社の中浜哲は、関東大震災で殺された大杉栄にこう呼びかける追悼詩を残したことで知られる。

『杉よ!
 眼の男よ!』と
 俺は今、骸骨の前に起つて呼びかける。

 彼は默つてる。
 彼は俺を見て、ニヤリ、ニタリと苦笑してゐる。
 太い白眼の底一ぱいに、黒い熱涙を漂はして
 時々、海光のキラメキを放つて俺の顔を射る。

(中浜哲「杉よ! 眼の男よ!」)

 まさにテロリストの「心」を想う詩である。

 恐らく現在の「文学」なり「文壇」しか知らない世代には俄に信じ難いことかもしれないが、テロリストが文学を書き、テロリストどころか殺人者さえも詩や小説を書き、そして書く術を持たない者に対してはその役割を文学が進んで買って出た。文学者がテロリストを含む、犯罪の当事者を代弁することは、繰り返すが文学の権能であった。

筆者の大塚英志氏

 その光景を文学史から呼び起こすことは容易だ。

 1960年前後「恐るべき17歳」と呼ばれることになる十代後半の少年たちによるテロルが続いたことがあった。

 1959年4月10日 19歳少年による皇太子パレード馬車への投石。
 1960年6月17日 20歳工員による社会党河上丈太郎襲撃。
 1960年10月12日 山口二矢(17)による日本社会党委員長浅沼稲次郎刺殺。
 1961年2月1日 小森一孝(17)が中央公論社社長宅で家政婦を刺殺。

 これ以外にも、浦和の高校生による日教組委員長暗殺未遂や、社会科教諭を「天皇侮辱だ」とナイフで脅した19歳の定時制高校生の事件など、大きく報道されなかった十代後半のテロルを連想させる事件が集中する。

 例外的に1960年7月に岸首相を襲撃した60歳を過ぎた老右翼のテロがあったが、これは1960年6月15日の樺美智子の死の直後で「(彼女が)憐れだった」とも後に述べているので、その意味でも少し筋が違う。

 この十代後半のほぼ同世代テロリストたちの出現は一種の社会問題化し、コクトーの小説「恐るべき子供たち」に倣って「恐るべき17歳」と命名された。

 しかし当時の論調はといえば「十六歳から十八、九歳ぐらいまでの年ごろは(中略)おとなと子どもの中間の不安定な年代である一方、心理的、精神的な純粋さが大きなエネルギーとなって爆発しやすい危険を心の奥にひめている」(『読売新聞』1961年2月13日)と思春期の問題に一般化する一方で、こんなコメントも見受けられる。

 われわれの少年時代、浜口首相が緊縮財政をやってもすぐ首相はけしからんと考えなかった。いまの少年はすぐ岸首相や池田首相の顔を思いうかべ政治がけしからん、社会がけしからんと考える。(中略)政治がいかん、おやじの月給が安いのは社会が悪いとなる。
(『読売新聞』1961年2月3日)

天皇に石を投げた少年

 この「何かと社会のせいにする」風潮は、山上徹也や木村隆二の政治的な訴えを退ける時の定番のロジックである。一方では戦後教育や親子関係に帰結させる議論も多く、今と変わり映えしない。さすがに今のようにあからさまに「考えるな」とは言わないが、当時の「識者」と呼ばれる人々の主張は考えていないに等しいものだ。

 しかしその一方で「考える」役割を一手に引き受けたのが「文学」である。

 その一点で1960年の「文学」は啄木の末裔にあることを自明としていた。

 興味深いのはその顔ぶれと彼らが「考えた」テロリストの組み合わせである。

 まず、山口二矢の事件をモデルに大江健三郎が「セヴンティーン」とその続篇「政治少年死す」を描いたことはよく知られる。深沢七郎の「風流夢譚」が出版社社長宅襲撃事件の引き金となったことや、右翼団体からの抗議もあり、「政治少年死す」は単行本への収録が見送られた。当時の新聞には大日本愛国党の赤尾敏が自身がモデルとおぼしき人物の描写に名誉毀損で訴えるとする記事が目に付く。

「セヴンティーン」が収録されている大江健三郎著『性的人間』新潮文庫

 一方で皇太子成婚パレードの車列に投石した「投石少年」(山口二矢と違い実名報道ではない)の行動に対し、賞賛とさえとれる一文を残したのが三島由紀夫である。

 更にこの少年が直接現われて自身のことを代弁してほしいと頼み、これに応えたのが石原慎太郎である。

 言うまでもなく、文学者の思想的立場など単純な右左の区分で計れるものではないが、それでもその後のパブリックイメージとしての「左」の大江が右の山口二矢を、そして天皇制を懐疑する投石少年のことばを「右」の三島や石原が語っていることにやはり注意したい。

 無論、繰り返すが大江や三島や石原でさえ、「左右」で分類することに殆ど意味がない。あくまでパブリックイメージである。

 それでも彼らの作家としての想像力は、政治的には対極にいるように見えるテロリストに向かい合う。

 しかもそれは否定やつまらぬ論破のためではない。明らかに彼らの「文学」がテロ少年に共振して「批評」を含む「文学」のことばで考えようとしている。

 大江の「セヴンティーン」続篇「政治少年死す」は単行本収録が見送られた過去だけから、未読の若い読者には山口二矢の行動を政治的に批判したり、天皇の尊厳を蹂躙するような作品として捉えられるかもしれないが、今読めば「おれ」が「天皇」という〈セカイ〉に同一化する、いわばセカイ系の出発点とでもいえる小説であることがわかる。

 おれは暗殺する前、その瞬間、そしてそれ以後においても、やがておれはどうなるのか(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)、ということを正面からたちむかつて考えたことはなかったという気がする、おれは将来になにを見ていたのか? 死だ、私心なき者の恐怖なき死ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ至福の死ヽヽヽヽ、そして天皇こそは死を超えヽヽヽヽ死から恐怖の牙をもぎとりヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ恐怖を至福にかえて死をかざる存在ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽなのだつた! おれはこの花の香りのような死、菓子の甘さのような死の家にはいつて行くまえにちよつとふりかえつて挨拶するように、暗殺をおこなつたのだ。いまになつてみればよくわかる、今朝おれがとつさヽヽヽにいつた右翼の言葉、身を棄てて大義をおこなうは、忠とは私心があつてはならないという言葉とおなじ意味なのだ、おれ個人の恐怖にみちた魂を棄てて純粋天皇ヽヽヽヽの偉大な熔鉱炉のなかに跳びこむことだ、そのあとに不安なき選れたる者の恍惚がおとずれる、恒常のオルガスムがおとずれる、恍惚はいつまでもさめず、オルガスムはそれが常態であるかのようにつづく、それは一瞬であり永遠だ、死はそのなかに吸いこまれる、それはゼロ変化にすぎなくなる。

(大江健三郎『政治少年死す──セヴンティーン・続編──』花園書房、「政治少年死す」発行委員会)

 このように読めばわかるが、「おれ」という個人の魂が同一化して溶け込むのが「純粋天皇」である。そういう母胎というべきか、集合霊というべきものへの天皇の回帰を大江はテロルの、いわば「動機」を描く。この「純粋天皇」は柳田が「先祖の話」で示し、大江から柄谷へとリレーされた「固有信仰」論に重なるものである。

テロを夢想した大江と三島

 そういえば、戦時下の少年であった大江はかつてこう語ったことがあった。

 新制中学の頃、私はものごとの体系とか、ある全体かひとまとめにする理論とかいうものにあこがれていた。もっとも具体的なモデルがあったのじゃなく、ただそうしたものを夢想して時をすごした、というのが適当なのだ。まさに、体系とか、全体をとらえる理論とかの欠けている環境に育っていたのだから。あえていえば、戦時の、天皇の国家──そして世界、宇宙にまっすぐつらなるもの──としての日本、という国民学校に浸透していた教育が、それなりに体系であり、全体をとらえる理論だったために、戦争が終り、民主主義の世の中になってからも、その感じ方の基本がなくては見棄てられたようで、不安だったのかも知れない。
(大江健三郎『私という小説家の作り方』)

 つまり戦時下の全体性と一体化した世界を喪失した不安を案外と素直に大江は語っているのだ。この問題について詳しくは別のエッセイを参照されたいが、「セヴンティーン」など政治少年、犯罪少年への傾針を経て、中期の大江文学は『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』『M/Tと森のフシギの物語』で神話を実装した「全体」としてのムラを日本神話を出自にもう一つの世界線としてつくろうとしている。

 その部分を引用する。

《及産時先以淡路洲胞。意所快。故名之曰淡路洲。》

 僕はこのようにも奇怪ないきさつで名付けられた胞の島の、その胞が、南セレベス島やバリ島やスマトラで、生れた子の兄または姉と信じられたことをいい、「吾恥」と嫌悪された島と、『古事記』における、葦船に乗せて流された「水蛭子」とをあわせて語りつつ確かめることこそを、われわれの土地の神話と歴史を書く者として望んでいたのである。葦船とおなじく、「吾恥」もまた直接に、われわれの土地と関わりを持つ。
(大江健三郎『同時代ゲーム』)

 大江の文学が反転した「純粋天皇」への想像力は、もう一つの日本神話を捏造するほどに強烈で、山口二矢が残した短歌の凡庸さと比べた時、当然だが大江に及ばない。

大江健三郎著『同時代ゲーム』新潮文庫

 山口には、例えば事実としてナチスの鉤十字を軽トラに掲げるような、今で言えばネトウヨ的な浅はかさもあった。しかし、これは17歳の少年であれば当然の幼さである。

 大江は無論、山口とは別の小説の作中人物の「語り」の中に於いてだが、そのテロルの動機を「純粋天皇」への同一化と理論化している。初めてこの小説を読んだ時、殆どそれは三島の自死にあらかじめ論理的根拠を与えているようにさえ感じたことを思い出す。

 対して三島由紀夫は「投石少年」をリアルタイムでこう評した。

 一時半起床。庭で素振りをしてから、馬車行列の模樣をテレヴィジョンで見る。
 皇居前廣場で、突然一人の若者が走り出て、その手が投げた白い石ころが、畫面に明瞭な抛物線を描くと見る間に、若者はステップに片足をかけて、馬車にのしかかり、妃殿下は驚愕のあまり身を反らせた。忽ち、警官たちに若者は引き離され、路上に組み伏せられた。馬車行列はそのまま、同じ歩度で進んで行つたが、その後しばらく、兩殿下の笑顔は硬く、内心の不安がありありと浮んでゐた。
 これを見たときの私の昂奮は非常なものだつた。劇はこのやうな起り方はしない。これは事實の領域であつて、伏線もなければ、對話も聞かれない。しかし天皇制反對論者だといふこの十九歳の貧しい不幸な若者が、金色燦然たる馬車に足をかけて、兩殿下の顔と向ひ合つたとき、そこではまぎれもなく、人間と人間が向ひ合つたのだ。馬車の装飾や從者の制服の金モールなどよりも、この瞬間のはうが、はるかに燦然たる瞬間であつた。

(三島由紀夫「四月十日(金)」『裸体と衣裳─日記』新潮社)

 これはやはり賛美としかとれない。

 天皇という様式が壊れ、人間としての彼が露呈する。その様に三島は殆ど恍惚とするのだ。

三島由紀夫 ©文藝春秋



 この天皇への態度の差異は戦時下の「少年」の大江と戦時下の「青年」三島の違いで、大江は天皇的なものへの胎内回帰の夢想を政治少年に仮託して冗舌であり、三島は天皇という様式に亀裂が入ることの追体験を「投石少年」の行動に見ようとしている。無論、TVでは皇太子の表情は見えず、投石が美しく放物線を描いたわけでもない。それは三島の脳内のイメージである。つまり一編の「文学」に他ならない。

 このように大江も三島も17歳に仮託することで自身のテロリズムへの欲望をいわば夢想しているとさえいえる。

青年テロリストに訪問された石原慎太郎

 一方で「17歳」から自身の代弁者たれと求められたのが、石原慎太郎だ。石原が仮釈放後の「投石少年」からアポなしの訪問を受けていたことは都知事時代に副知事だった猪瀬直樹が回想していたこともあって一部では知られているはずだ。石原はこの訪問を受けて『文藝春秋』1959年8月号に「あれをした青年」と題してこの奇妙な面談を書き残している。

 石原は講演先の地の宿でこの投石少年の訪問を突然、受ける。

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source : 文藝春秋

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