勢津子妃殿下(1909〜1995)は民間から昭和天皇の弟・秩父宮雍仁(やすひと)親王に嫁いだ。秩父宮の評伝を書くに際し妃殿下に取材した昭和史研究家の保阪正康氏が回想する。
昭和史に関心をもつ作家なら、誰しも昭和天皇の弟宮・秩父宮雍仁親王の歩みを確かめたいと思うはずです。秩父宮への理解を深めることで、昭和史の知られざる側面が明らかになるからです。
ところが、秩父宮の評伝は誰も書いていませんでした。それならば私が書いてみたいと取材を始めたのは、昭和60年代に入ってからでした。秩父宮と関わりのあった方々にお会いし、膨大な資料と格闘しながら平成元(1989)年に『秩父宮と昭和天皇』を上梓しました。
この本の執筆にあたり、調査・取材を進めている折りに、私は秩父宮妃勢津子殿下にお会いしました。私と担当編集者が妃殿下を訪ねたのですが、このとき宮内庁からは三つが申し渡されていました。ひとつは、取材で妃殿下に直接お会いしたことは書かないこと。もうひとつは、宮家にある未公開の資料を用いていいこと。そして最後は政治上の質問は行わないこと。こうした事情から単行本では妃殿下にお会いしたことにはふれませんでしたが、実際には6時間にもわたりお話を伺いました。
妃殿下のお言葉でいくつも印象に残っているものがあります。
まずは秩父宮のことを「尊敬している」とおっしゃったことです。皇室といえども、夫婦関係で尊敬しているという言い方はあまり聞いたことがありません。しかし妃殿下曰く、とにかく「一生懸命」な方だったというのです。昭和天皇の弟宮として天皇を支え、陸軍の軍人として日本国の安泰を考え、上官として部下たちの生活と将来を考える。そうやってすべてを自分に引受け、努力するお姿を尊敬するとおっしゃっていました。
ですから、私たちが秩父宮のことを徹底的に調べ、正しく伝えようとしていることを、喜んでくださったのではないかと思っています。「わからないことがあったら何でも聞いてくださいね」と優しく語りかけてくださったそのお言葉には、深い慈愛のお心も感じました。
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