芥川龍之介 馬鹿の意味を反転させた人

堀江 敏幸 作家
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「羅生門」「杜子春」「地獄変」など数々の名作を書いた芥川龍之介(1892〜1927)は、昭和2年、「ぼんやりした不安」という言葉を遺して、自らこの世を去った。作家の堀江敏幸氏が芥川の「特異な力」を論じる。

 芥川龍之介が自ら命を絶ったあと、じつにさまざまな追悼、追想、回想が書かれた。岩波文庫の『芥川追想』に収められている作家・詩人たちの文章は、彼の肖像を描くために不可欠な題材を、ある意味で作品以上に提供してくれる。

芥川龍之介

 年齢や経験、性格や教養によってつきあいの濃度や頻度に差があるのは当然で、私たちがだれかを評して差し出すイメージは、それぞれの素描をトレースして重ねた透明なプレパラートの層に複雑な感情の光を当ててうかびあがらせたホログラフィーであって、実像と呼びうる真実がひとつだけにしぼられることはない。

 しかし作家としての欠点を性格とまぜあわせて、惜しまれるより先に、これだけたっぷり難じられた人がはたしていただろうか。脆弱、気弱、理智的、気取り屋、神経質、インテリ、慧敏、微温的、不徹底。晩年の芥川と論争した谷崎潤一郎は、「兎にも角にも、もっと馬鹿であるか、もっと健康であるか、孰方かであればもっと幸福に暮らせたであろうに」(「饒舌録」)と嘆いていた。

 島崎藤村もまた、「もっと君が心の貧しい人であの鋭さを挫いたなら、と思われないでもない」(「飯倉だより」)と洩らしている。作家は馬鹿で、心貧しい人であることが望ましいといったいまも通用しそうな評言も、自分たちはこの扱いの難しい「馬鹿さ」と「心の貧しさ」を御しえているとの認識に立った、裏返しのエリート主義だとも言える。

 芥川を語る人たち、とくに同業者にはひとつの共通点がある。彼らにとって芥川は、自身の文学の立ち位置を確かめるための、これ以上ない指標だったということだ。どうあがいても馬鹿にはなれず、筆を執れば苦闘の末にその苦闘のあとを見せない完成された作品ができあがってしまう本質的な不器用さ。それをあたかも一種の悲劇のように見立てることで、幾重にも屈曲した羨望と嫉妬をうまく隠しているのではないかとさえ思えてくる。

 志賀直哉の我孫子の家を訪ねた芥川は、志賀が3年ほど小説を書かなかった時期のことをしきりに聞きたがった。「そして自身そういう時機に来ているらしい口吻で、自分は小説など書ける人間ではないのだ、というような事を云っていた」(「沓掛にて」)。志賀が「奉教人の死」の欠点を目のまえで縷々指摘したときも、芥川はそれを素直に受け止め、「芸術というものが本統に分っていないんです」と云ったという。

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source : 文藝春秋 2024年8月号

genre : ライフ 昭和史 読書 芥川賞 歴史