『宮本武蔵』や『三国志』など歴史小説を書き続けた吉川英治(1892〜1962)は、多くの読者に愛された。作家の五木寛之氏が、その魅力を語る。
吉川さんは、昭和37(1962)年に亡くなられ、私よりも一世代上に当たります。ですから、生前はまったくお会いする機会はありませんでした。一方で、妻の文子さんには出版社主催の会合などでよくお会いしましたし、同じく出版社主催のゴルフ会でも何度も一緒に回ったことがありました。立ち居振る舞いが優雅で気品があり、「昭和の麗人」と呼ぶにふさわしい方でした。
私が『青春の門』で「吉川英治文学賞」を受賞したのは昭和51(1976)年のことです。子供の頃によく読んだ作家だったので、吉川さんの名を冠した賞を獲れたことに感動したのを覚えています。
戦前の話ですが、私の父が吉川さんの大ファンでした。自宅には『神州天馬侠』や『宮本武蔵』など、吉川さんの著作が一通り揃っていて、私も学校から帰るなり、真っ先に読んだものです。
とりわけ『宮本武蔵』は当時、絶大な人気を誇っていました。吉川さんは佐々木小次郎や本位田又八など魅力的な登場人物を創り上げた。宮本武蔵は歴史上、実在した人物ではありますが、決して多くの史料は残されていなかったはずです。そこを吉川さんならではの逞しい想像力で孤高の剣豪たる武蔵像を作り上げ、幅広い読者を魅了しました。司馬遼太郎さんが『竜馬がゆく』などで、坂本龍馬を国民的な英雄として描き出したことと同じですね。
当時はラジオで『宮本武蔵』の朗読劇を放送していて、弁士の徳川夢声さんが緊迫感溢れる声で「その時、武蔵は……」などと語り始めると、幼かった私の頭の中には、武蔵が決闘に臨む場面がありありと浮かんできたものです。あの徳川さんの独特の声は今も忘れられません。
『宮本武蔵』の連載と同時期に、吉川さんは、小説『親鸞』も発表されています。私にとって親鸞は長年にわたり追いかけてきたテーマでもあるので、吉川さんの『親鸞』も何度も読みました。親鸞が鎌倉時代にどのような活躍をしたのか、いわば社会的な存在としての親鸞を実に巧みに描いている。一方で親鸞の宗教思想についての記述には、多少の違和感を覚えたのも事実です。
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