『濹東綺譚』や亡くなる前日まで書き続けた日記『断腸亭日乗』などで知られる作家・永井荷風(1879〜1959)。孫の永井壮一郎氏が、両親を通して見たその姿を語る。
荷風の死後、両親はまだ3歳だった私を連れて、それまで荷風が住んでいた千葉の市川市八幡の家に移り住みました。遺品や蔵書を守るためでしたが、遺産や著作権をめぐって相当なゴタゴタがあったようです。
さらに、偉大な文豪が亡くなったということで、一周忌を過ぎても記者やカメラマンが家にやってきました。どこへ行くにもマスコミにつけ回され、そのストレスから父・永光(ひさみつ)が歯根膜炎にかかって苦しんでいたのを覚えています。
私も小学生の時、荷風の孫だからという理由でものすごくいじめられました。浄閑寺の荷風碑建立時の様子がテレビで放映され、「なんでおまえがテレビに出るんだ」と言われたのです。これが、私が荷風について覚えている一番鮮明な記憶です。
荷風の養子となった父は戦後すぐ、1年半ほど荷風と一緒に住んだことがありました。とはいえ、荷風には専用の部屋をあてがい、寝食も別。一緒に住むにはかなりの苦労があったようです。人間的な荷風と文学的な荷風はまったく違うようで、それでも両親が荷風について悪く言ったり、愚痴めいたことをこぼしたりした記憶は、私にはありません。
父から聞く荷風は、「変わった人」でした。父は子どもの頃、荷風が「偏奇館」と名付けた東京・麻布の家へよくお使いに行かされたといいます。訪ねて行くと、荷風はいつも1階の女中部屋で寝起きしていたそうです。2階の自分の寝室に上がったり、片付けたりするのが面倒だったのだろうと父は言っていました。
一方母は、荷風のことを「先生」と呼んでいました。文豪・永井荷風の遺品や蔵書を守ることを自らの使命とでも思っていたようですが、そんな母からも荷風が偉大な人だったとか、すごい作家だったという話は一度も聞いたことがありません。ただ、荷風の全作品を読破している母は、「こんなに綺麗な日本語を書ける作家はいない」と絶賛。もし状況が許すなら私に荷風の研究者になってほしいと話していました。
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