キーン先生の孤独

巻頭随筆

小池 政行 元外交官
ニュース 社会 国際 読書

 ドナルド・キーン先生に初めてお会いしたのは、筆者が在フィンランド日本大使館の文化担当官の時、外務省の依頼でポーランド、当時のソ連、そしてフィンランドの講演にいらした時であった。コロンビア大学東洋学部の中心教授として多忙な日々を送られながら、ひとりの人間が成し遂げたことがいまだに信じられないような何巻にもわたる「日本文学史」を完成されつつある時だったと思う。

 時は1981年の夏。この時からキーン先生の晩年にわたるまでの友情が生まれた。その理由は単純な事で、キーン先生が講演後、世話になった各日本大使館の担当官に著作と礼状を送ったが、「受け取ったと返事をくれたのは小池さんだけでしたよ。しかも、私の講演を英語からフィンランド語に訳して新聞等に載せるというのですから」ということだった。

 キーン先生は細やかな気遣いの人であったとともに知的好奇心に満ちた人だった。

 キーン先生の数々の日本文学に関する業績、その秘訣は何かという話になった時、先生は「友人の副学長に、半年はニューヨークで、半年は日本でと願って、それが実現できたことです」と言われた。

「ニューヨークでは教授、学者として、日本では数々の文学者や著名な友人との交流、講演……有名人のような生活を送るリズムがとても楽しい」と言われた。

 筆者は、キーン先生が大学から供与されたマンションの部屋に何度か泊めてもらった。ハドソン川を目の前にして、2家族用のフラットで、壁、廊下に膨大な書籍がならび、メイド用の区画まであることに驚いた記憶がある。

 それに比べて東京・北区西ヶ原のマンションは、「古河庭園の緑が書斎から眺められるから」と購入された、こぢんまりとしたもので、客人が絶えず、書斎は4畳半、そして寝室は3畳の和室に布団を敷いて寝ておられた。

 キーン先生は6月から1月は日本、1月終わりから5月終わりまではニューヨーク、という生活のリズムをとても楽しみ、自らの感性の刺激とされていた。キーン先生は「2つの人生を生きることができる」と言った。

 ある時期から酷暑の夏を日本で過ごすため、軽井沢の千ヶ滝に建築家に設計させた別荘を建てた。

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source : 文藝春秋 2020年3月号

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