2000年代にはいり、異常な水害が多発している。瀬戸内を中心に死者が200人をこえた平成30年7月豪雨、関東・甲信・東北地方などを襲った令和元年台風第19号による水害、熊本県球磨川の水位が最大9メートルに達した令和2年7月豪雨など忘れることはない。
また「線状降水帯」「記録的短時間大雨情報」「大雨特別警報」などという気象用語が違和感なく日常生活の中に定着してきた。
地球温暖化が猛烈なスピードで進み、想定をこえた豪雨の時代をむかえているのかも知れないが、雨季と乾季が明瞭にわかれ、雨季になると集中豪雨による大水害が多発してきたアジアモンスーン地帯では、洪水に立ち向かい生命と財産を守ってきた公権力と農民による治水の歴史が刻まれていることに注目したい。
古代中国では治水の土木技術が発達した。長江デルタの稲作文明である良渚(りょうしょ)文化期(紀元前3000~2000年)には、すでに都市と農地を守る治水ダムが出現している。治水が王権の誕生と深く結びついていることがわかる。
古代日本では、奈良時代の正史である『続日本紀』に、治水記事が頻出する。たとえば天平宝字(てんぴょうほうじ)6年(762)の旧大和川の堤防修理は延べ2万2200人、さらに延暦4年(785)の堤防修理は延べ30万7000人あまりの労働者が動員された。
奈良時代の平城京の人口は5万~10万と推定される。いかに多大な社会資本と土木技術が治水工事に投下されていたのかがわかる。公権力にとって、治水工事は最優先されるべき社会基盤の整備事業であった。
一方、農民の治水工事が歴史書に記載されることはない。手がかりは考古学の発掘調査だ。2020年、奈良県橿原市の慈明寺遺跡から、弥生時代の農民の治水工事らしき遺構が見つかった。村の中を流れる川が大雨で増水した時、溢れた水を川から逃がすために掘られた溝がそれにあたると報道された。
詳細な研究はこれからだ。溝の働きは一律ではない。平時は川から用水を引き、緊急時は洪水を逃がしたのではなかろうか。この溝に特別な土木技術は見られない。日ごろから、いろいろな事態に備えておくという農民の意識が読みとれる。
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source : 文藝春秋 2021年3月号