【世田谷一家殺人】未解決事件理事官が語る「真犯人」

平成アンタッチャブル事件簿

大峯 泰廣 元警視庁捜査一課理事官
ニュース 社会
 2000年12月30日深夜。東京・世田谷にある祖師谷公園に隣接する宮澤みきおさん(当時44)宅に何者かが侵入し、幼い子供2人を含む一家4人を殺害した。世間を震撼させた「世田谷一家殺人事件」である。のべ約28万人の捜査員が投入されたが、捜査は難航し、犯人逮捕には至っていない。

 大峯氏は2005年から警視庁捜査一課の「未解決担当理事官」として、この事件の捜査を指揮した。「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の宮﨑勤や「ロス疑惑」の三浦和義など数多くの犯罪者と対峙してきた“伝説の刑事”は、世田谷一家殺人事件の犯人像を「混血による物盗り」と睨む。

「未解決担当理事官」

「犯人はすぐに捕まるだろう」

 事件の第一報が流れたとき、小岩署の刑事課長を務めていた私は、楽観視していました。これほど長引くとは思いもよりませんでした。

 なぜなら犯行現場には犯人逮捕につながる“ヒント”が数多く残されていたからです。

「ラグランシャツ」と呼ばれるトレーナーやユニクロのジャンパー、ヒップバッグ、凶器となった柳刃包丁に加え、フランス製の香水「ドラッカーノワール」などの遺留品。一家を殺害後も、犯人は長時間にわたって宮澤さん宅に留まったため、犯人自身の血痕や指紋も多数残されていた。血液型もA型と判明しており、犯人検挙は時間の問題だと考えていました。

 犯人が宮澤さん宅に侵入したのは、午後11時過ぎと見られています。まず中2階の寝室で眠っていた長男・礼くん(当時6)の首を絞めて殺害しました。この際、相当強い力を込めたのでしょう。床には犯人が踏ん張った足跡がはっきりと残されています。次に、みきおさんと階段の下で鉢合わせると、ヒップバッグから取り出した柳刃包丁で刺殺しました。

 つづけて、3階の部屋に侵入すると、布団に入っていた妻の泰子さん(当時41)と長女・にいなちゃん(当時8)に向かって柳刃包丁を振り下ろしたのです。このとき、目を覚ました泰子さんが必死に抵抗したことで、犯人は自らの手を負傷している。その後、タオルや生理用ナプキンなどを使って止血をしており、かなりの大けがを負ったことがうかがわれます。

 一家4人を手にかけた後、預金通帳やキャッシュカードなど、金目の物を物色し始めました。

 その間の行動が犯人の異常性を物語っています。冷蔵庫にあった5つのアイスクリームを口にしていますが、スプーンを使わずにカップごと握りつぶして搾り取るように食べている。また、みきおさんのパソコンを使って午前1時20分頃に「劇団四季」のHPを閲覧するなど不可解な動きも見せているのです。

 犯人は殺害と物色で疲れ果てたのでしょう。血の付いたラグランシャツを脱ぎ捨て、2階の居間でクッションを枕にして寝ころんだ形跡も残っていました。翌朝まで仮眠を取ったとみられます。

 犯人が宮澤さん宅を出たのは殺害からおよそ11時間後のことでした。翌朝の10時30分頃、隣家に住んでいた泰子さんの母親が宮澤さん宅のドアをノックしています。犯人はこれに驚き、数多くの遺留品を残したまま逃走したのです。

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聞き込み捜査が甘かった

 ところが、捜査は遅々として進みませんでした。

 私は2005年2月に「未解決担当理事官」に就任して、捜査報告書を精読すると、間もなくその理由に気付きました。初動捜査が甘かった。事件直後、「地取り」と呼ばれる聞き込み捜査が十分に行われていないことは一目瞭然でした。

 聞き込みに行った捜査員は「指紋を取らせてくれませんか」と機械的に頼むだけで、詳細に話を聞こうとしていない。報告書に書かれているのは「指紋、指紋、指紋」ばかり。警視庁のデータベースにある指紋と照合し、“シロ”と判断してしまい、十分な情報収集が行われていなかったのです。どんな凶悪な事件であっても、近所に住む素行の悪い人間や目撃情報の徹底した聞き込みが捜査の基本です。この事件は遺留品や指紋があまりにも多く残されたことで、「指紋に絞って捜査すればいい」と捜査員が油断してしまっていた。

 初動捜査で得られた目撃情報もあるにはありましたが、筋が良いとは言えないものでした。注目されたのは、事件当日の午後11時40分頃、宮澤さん宅前の道路から飛び出してきた若い男です。目撃者が男の形相を「イっちゃった目をしていた」と表現したことで、殺害の興奮冷めやらぬ犯人ではないかと、捜査員は色めき立ちました。警視庁は似顔絵を公開するなど、いまでもその足取りを追っていますが、私は否定的です。

 というのも、翌朝まで犯人が宮澤さん宅に滞在した痕跡が残っているからです。もしこの「若い男」が犯人だとすれば、一家殺害後、一旦外出して、宮澤さん宅に戻ってきたことになる。強盗殺人犯の行動にしてはあまりにも不自然です。

 本件のように殺人犯が一晩中、家の中で過ごし、膨大な遺留品を残した事件は過去に例がありません。

 通常の犯人は、目的を達すると一刻も早く現場を離れたいと考えます。しかし、犯人には「確信」があった。これまで警察に捕まった経験がなく、遺留品や指紋を捜査されても逮捕されないと信じて疑っていなかったのです。

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ラグランシャツに手がかりが

 ただ、遺留品の中には犯人の居住地域の特定につながる情報も残されていました。その一つが、犯人が着用していたラグランシャツ。極めて珍しいもので、都内では、4店舗で10枚しか販売されていなかった。しかも、その店では、犯人が身に着けていた帽子と手袋も購入できることが判明しました。

 店舗があったのは、八王子、荻窪、聖蹟桜ヶ丘、そして葛飾区の青戸。この近辺であれば柳刃包丁やジャンパー、香水なども揃えることができ、犯人が住んでいるか、あるいは職場や学校があるなど生活圏の一部である可能性が高い。ところが、初動捜査において、この地域の聞き込みも徹底されていませんでした。

 犯人は大けがを負っているため、この地域で「手を怪我している人を見かけませんでしたか?」と聞き込みをすれば、有力な目撃情報が得られたかもしれません。

 未解決担当理事官に就任した直後から聞き込みをやり直しましたが、丸4年も経過していたこともあり、有力な情報は出てきませんでした。

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犯人が目を付けた「立ち退き料」

 発生から20年が経ったいまでも、検挙はおろか、有力な犯人像の絞り込みすらできていません。ヒップバッグのなかにスケートボード用の滑り止めの粉や、特殊な蛍光塗料が残っていたことから、スケボー愛好家や印刷業などに従事する人物など様々な犯人像が浮かびましたが、どれも決定打に欠けます。

 現在でも一部の元捜査員が根強く主張するのが、顔見知りによる怨恨説です。たしかに、残忍な殺害方法からは一家への強い恨みがうかがわれる。ただ、私は怨恨ではないと思っています。親族を含め、一家の人間関係を徹底的に洗いましたが、何者かに恨みを買うような事案はまったくなかった。

 犯人像に迫るためには、先入観を排し、犯行現場の状況を冷静に読み解くことが何よりも重要です。

 一家4人の惨殺という点にばかり注目しがちですが、これは強盗事件でもあります。

 泰子さんが開いていた学習塾の月謝と思われる20万円の現金が無くなっています。さらに、室内には手当たり次第に金目の物を物色した形跡が残されています。

 バスルームの浴槽は、みきおさんの仕事関係の書類や領収書などで埋め尽くされていた。これはタンスなどを物色するなかで、不要なものを浴槽に投げ入れたと思われます。いちいち元の位置に戻すのが面倒くさかったのでしょう。かなり時間をかけて家の中を物色していることがわかります。

 一方で、2階の居間の床には、預金通帳や銀行のカード類とともに、パスポートなど身分証明書なども並べられていた。個人情報からキャッシュカードの暗証番号を割り出そうとしたに違いありません。

 こうした犯行状況からは、顔見知りによる怨恨の線は見えてこない。浮かび上がってくるのは、「流しの物盗り」による犯行です。

 そうはいっても、みきおさん自身は一般の会社員ですし、資産家だったわけではありません。なぜ物盗りの標的にされてしまったのか。

 ポイントのひとつは、宮澤さん宅の周辺が祖師谷公園の再開発エリアに該当していたことです。当時、再開発にともなう立ち退き交渉はほとんど終わっており、多くの住民はすでに引っ越しを終えていました。

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source : 文藝春秋 2021年6月号

genre : ニュース 社会