「何でもありなのか」とゴーンは言った
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▶︎ゴーン事件を紐解くと、独裁者と化していたゴーン氏の強欲な姿だけでなく、権力闘争渦巻く日産の内情や検察当局の異例の捜査が浮かび上がってくる
▶︎日産内部の告発から始まった極秘調査の動機は、必ずしも正義感だけではなかった
▶︎ゴーン氏と検察との水面下の攻防は、今もまだ続いている
平成アンタッチャブル事件簿 記事一覧
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初めから異例尽くめの事件
保釈中にレバノンに無断出国し、世界中を驚愕させた“世紀の大脱走”から約1年5カ月。事件の“主役”である日産自動車前会長、カルロス・ゴーン被告(67)が不在のまま、今も彼の日産時代の巨額の役員報酬を巡る刑事裁判は続いている。
なぜゴーン氏は逮捕され、そして海外に逃亡したのか。
その理由を紐解くと、そこには独裁者と化していたゴーン氏の強欲な姿だけでなく、権力闘争渦巻く日産の内情や検察当局の異例の捜査が浮かび上がってくる。
初めから異例尽くめの事件だった。ゴーン氏が逮捕された2018年11月19日の朝、彼の側近だった中堅幹部の元に一本の電話が入った。相手は法務部門を担当する専務執行役員(当時、以下同)のハリ・ナダ氏で、「今日、午後5時に会社に来て下さい」と一方的に告げられたという。
その中堅幹部が口を開いた。
「私はその日、仕事の予定が入っていたので断ると、『ゴーンさんの関係で大切なことがあるので来てください』と譲らない。仕方なく調整して横浜の日産本社に行くと、5時ちょうどに私のところに検察の係官が来たのです」
ゴーン氏を乗せた日産の社用ジェット機が羽田空港に到着したのは当日の午後4時35分頃。それからほどなくしてゴーン氏は空港施設で東京地検特捜部に身柄を確保されている。特捜部は予め日産側と調整したうえで午後5時から捜索を行なっており、すべてシナリオ通りだった。
「私は、日産がルノー傘下に入り、ゴーン氏が社長になって約18年、テクニカルな面で彼の仕事を支えてきました。検察にとって私は、ゴーンさんのIT機器にアクセスするために必要な存在だったのでしょう。私はその場でパソコンと携帯電話を押収されましたが、秘書室長の大沼敏明氏は普通に携帯電話を使っていました。この時、私は、会社に裏切られたことを悟ったのです」(同前)
実はこの中堅幹部を呼び出したナダ氏とその部下だった大沼氏は、検察と司法取引し、捜査に協力する代わりに罪に問われない“免罪符”を手に入れていた。2人は周到に準備されたクーデターのキーマンでもあったのだ。
ナダ氏はマレー系英国人で、1990年に日産に入社。英国の弁護士資格を持ち、ゴーン氏の共犯として逮捕されたグレッグ・ケリー代表取締役の後任として法務部門を統括してきた。
ゴーン氏
ゴーン氏を追い落とす
司法担当記者が解説する。
「ナダ氏は、ゴーン氏が日産の子会社を通じてレバノンやブラジルなどで不動産を不正に購入していた実態を最もよく知る人物の一人です。しかも、ゴーン氏が高額な役員報酬の一部を開示せず、退任後に受け取るスキームに関わった当事者でもありました」
18年の春、そのナダ氏の内部告発を受け、今津英敏監査役や川口均専務執行役員らが主導する形で極秘調査チームが組織される。そして6月に東京地検特捜部に情報が持ち込まれたことで、事件化へと大きく動き出していくのだ。
ゴーン氏はルノー副社長だった1999年に日産に入り、2年後にはCEО(最高経営責任者)に就任。コストカッターの異名をとる彼は、約2兆円の有利子負債を抱えて経営危機に直面していた日産をV字回復させた。その手腕が世界的に高い評価を受けたことで、高額報酬や公私混同ぶりを誰も批判できなくなっていた。
それを象徴するかのように、ゴーン氏の逮捕当日、西川廣人社長は、「一人に権力が集中し過ぎる状況だった。長年、(ゴーン氏が)実力者として君臨してきた弊害は大きい」と記者会見でゴーン批判の口火を切った。
しかし、日産内部の告発から始まった極秘調査の動機は、必ずしも正義感だけではなかった。
ゴーン氏がフランス政府の意向を背景に進めていたルノーとの経営統合が、日産内部に暗闘の火種をもたらしていたのだ。
「ルノーが日産を救済する形で始まった両者のアライアンス(提携)でしたが、次第に立場が逆転。業績悪化に喘ぐルノーの筆頭株主であるフランス政府は、15年頃から日産を吸収すべく、経営統合を求めていました。ルノーの社長兼CEOだったゴーン氏は当初こそ合併には慎重な姿勢でしたが、18年2月にルノーCEOの任期延長を条件にフランス政府寄りに態度を変化させた。経営統合を阻止したい西川氏を始めとする一派が、取締役会で多数派のゴーン派を切り崩すには、クーデターにより、役員人事を握るゴーン氏を追い落とすしか方法がなかったのです」(経済誌記者)
西川氏は、ゴーン氏の後押しで社長の座を手に入れた“ゴーン・チルドレン”の代表格だったが、折からの業績低下で失脚目前とみられていた。そこにフランス政府の介入を嫌う経産省の元審議官で、社外取締役の豊田正和氏やルノーとの経営統合で不利益を被る幹部らの動きが拍車をかけたという構図だ。
しかも事態は風雲急を告げていた。
西川前社長
パーフェクト・スパイ
オランダの首都、アムステルダム郊外に建つ3階建てのオフィス——。ここにはルノーと日産のアライアンスの象徴として02年に設立された統括会社「ルノー・日産BV」の拠点が置かれていた。この会社は、ゴーン氏の“不正の温床”とされ、ベルサイユ宮殿でのパーティー費用やカンヌ映画祭への知人の招待費用などの私的な支出は、ここを通じて行なわれていたという。
日産関係者が明かす。
「ゴーン氏はこのオフィスに大幅な改修工事を施し、真ん中に自分の部屋を作り、そこに3つドアを付け、三菱自動車を含む3社のCEOの部屋へと繋がるレイアウトに変更するよう指示していました。そして19年2月を目処に、ここを3社連合の司令塔として本格的に機能させ、経営統合を図ろうと準備していたのです。彼は19年からは日本に行く頻度を今まで以上に減らす予定でした。つまり、逮捕された11月19日が経営統合を止める最後のチャンスでもあったのです」
ゴーン氏はこの時の来日で、1週間の滞在中、日産と三菱の取締役会に出席する予定だったとされている。
「11月21日には日産主催で、ゴーン氏と小池百合子都知事との対談イベントが予定されていた。これは日産側が東京都に持ち掛けた企画でした。今から思えば、ゴーン氏の来日を確実にするために、いくつも保険をかけていたということでしょう」(同前)
ゴーン氏が逮捕される前月、ナダ氏の姿はレバノンの首都、ベイルートにあった。彼は右手を包帯で吊った状態でゴーン氏の邸宅に現われ、「手が痺れてメモが取れないので、会話を録音させて欲しい」と管理人などに聞き取り調査を行なっている。彼はブラジル・リオデジャネイロでもゴーン氏が会員権を持つヨットクラブなどで同様の調査を行なっていたようだ。
「ゴーン氏に近いルノーのコンサルタントは、ナダ氏を『パーフェクト・スパイ』と評していた。インテリジェンスオフィサーのような偽装工作もできる人物だ、と。彼がゴーン氏逮捕の直前、リスクを冒して証言集めを行なったのは、当然検察の指示があったからでしょう」(同前)
一連のシナリオを描いたのは、東京地検特捜部を率い、特捜検察のエースと呼ばれた森本宏部長(現・津地検検事正)である。彼は特捜検事として福島県知事汚職事件や徳洲会事件などに関わり、特捜部長に就任してからは18年6月に導入された司法取引の活用にも積極的だった。
森本氏
新旧・特捜部長の対決
特捜部は日産内部のクーデターに乗じて“大金星”をあげたが、検察とゴーン氏との攻防戦は、そこから本格化していく。
のちに検察はゴーン氏の国外逃亡を許すことになるが、水面下で繰り広げられてきた両者の駆け引きとはどのようなものだったのか。
ゴーン氏逮捕で勢いづく特捜部に、最初に立ちはだかったのは、ゴーン氏の弁護人で、森本氏のかつての上司、大鶴基成弁護士である。
「大鶴氏が特捜部長として手掛けた村上ファンド事件では、森本氏が村上世彰氏の取り調べを担当。大鶴氏も森本氏の力量を高く評価していました。その後、大鶴氏は東京地検次席検事として民主党元代表の小沢一郎氏の政治資金規正法違反事件でミソをつけ、定年まで7年を残し退官。弁護士に転じました」(前出・司法記者)
ゴーン氏の弁護は、ルノーの関係先の紹介だったが、新旧特捜部長の対決として注目を集めた。
「最初の見せ場は、ゴーン氏の2回目の逮捕直後に訪れました。1回目の逮捕容疑が11年から15年に役員報酬を有価証券報告書に過少記載した金融商品取引法違反。2回目は虚偽記載の期間が16年から18年になっただけで、検察側は不当に勾留期間を引き延ばしているとして“人質司法”だとの批判が巻き起こった。“外圧”に押された裁判所は、12月20日に勾留延長を却下。翌日にはゴーン氏の保釈が認められるとの観測が飛び交ったのです」(同前)
ゴーン氏側は水面下で、フランス大使館に協力を仰ぎ、保釈に向けた準備を進めていた。
地検関係者が振り返る。
「あの日、ゴーン氏は保釈金20億円で釈放される寸前だった。ゴーン氏側は1億円の小切手を20枚用意。予定通り保釈が認められれば、そのままフランス大使館に向かい、エールフランスの深夜便でフランスに行く段取りになっていた。特捜部はこうした動きを事前に察知し、保釈決定の前に逮捕状をとって特別背任容疑で3度目の逮捕に踏み切りました」
検察はゴーン氏側の動きを捕捉すべく、弁護団を含めた関係者を徹底的にマークしていた。その一例が、18年12月13日に所属先のドライバー派遣会社を退職したゴーン氏専属の運転手の動向だ。
「彼はゴーン氏と同世代で、ゴーン氏が来日してからずっと運転手を務めてきました。彼はただの運転手ではなく、外食の手配から家族の世話までこなす秘書的な存在で、ゴーン氏についてすべてを知り尽くした人物でした」(日産OB)
「ゴーン氏だけが悪いのか」
一方で彼は、検察と司法取引した秘書室長の大沼氏とも非常に懇意にしていた。そのため大沼氏を通じて彼を取り込もうとする検察側と、それを阻もうとするゴーン氏側との間で争奪戦の様相を呈した。
「大鶴氏の所属する弁護士事務所は、格闘技団体『RIZIN』の顧問も務めており、年末の格闘技イベントに、この運転手を招待するとみて、検察側は監視していました。両者の間で板挟みとなった運転手は精神的に参ってしまい、人権派の女性弁護士に相談に行っていました」(前出・地検関係者)
その頃、日産内部にも不協和音が生じ始めていた。
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source : 文藝春秋 2021年6月号