版元・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)(1750-97)は、江戸で創造活動をしていた多くの人々をつなぎ、その才能をディレクションし、編集し、かたちにした。どのような本にするか、どのような浮世絵を見たいのか、明確にそのビジョンをもっているからこそ、それができたのである。
重三郎が満年齢で15歳の少年だったころ、「絵暦の会」で、鈴木春信の下絵による、全工程カラー浮世絵版画「錦絵」が開発された。それまで浮世絵は墨摺りで本の挿絵になるか、手で色を塗りあるいは二、三色印刷をする程度のものだった。それが多くの色をはっきりと印刷できるようになった。少年たちの目の前に「色」が現れたのだった。
これは絵暦つまりカレンダーを創るための会で、ここには場所と資金を提供する旗本のほか、下絵師、彫師、摺師、さまざまなアイデアを出す、例えば平賀源内のような人が加わっていた。新たな技術や創造がなされるとき、そこには必ず異なる能力をもつ多様な人々のつながりがあった。それは伝統的な「歌合(うたあわせ)」や、「俳諧」でおこなわれてきた創造方法だった。その方法が、江戸時代の文化創造にも大きな役割を果たしたのである。
錦絵が生まれた2年後、19歳の少年の著書が評判になった。大田南畝(なんぽ)の狂詩(漢詩のパロディ)『寝惚先生文集』である。平賀源内がこれを絶賛した。才能が世に出るには、それを評価する人が必要だったのだ。さらにその2年後、江戸では「狂歌の会」が始まる。その中心になったのが、この大田南畝であった。この人は幕臣、つまり幕府の役人である。役人としての名前を大田直次郎と言う。狂詩を書くときは寝惚先生、狂歌師としては四方赤良(よものあから)、後には蜀山人(しょくさんじん)と名乗る。このように多くの名前を使い分けながら、各方面に才能を発揮した。江戸時代の創造者たちは自分を複数のアバターで使い分け、そのアバターごとに他のアバターとネットワークを創ることによって、超多様創造を成し遂げたのである。

武士なのに「酒上不埒」
蔦屋重三郎がまだ小売業者だったころの1775年、黄表紙というジャンルを切り拓いた人がいた。恋川春町である。その最初の黄表紙『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』は「絵本」だ。恋川春町は、絵も文章も自分で書いた。この人は倉橋格(いたる)という駿河小島藩の江戸留守居役、つまり武士だった。黄表紙を創る時は恋川春町と名乗り、狂歌連に出入りする時は酒上不埒(さけのうえのふらち)と名乗った。
狂歌連とは、狂歌を創る人が増えていった時に、少人数で「連」を作り、集まって狂歌合わせをするグループである。「合わせ」は平安時代から続いている詩歌を創る方法で、複数の人が集まってその質を競い、あるいはそれらを集めて集を創る。四方赤良も酒上不埒も、それぞれの狂歌連のメンバーである。蔦屋重三郎は、天明狂歌運動が起こるとすぐ狂歌に注目し、刊行し続けた。
さらに重三郎は狂歌連の活躍を、浮世絵に引き込んだ。それが1786年の喜多川歌麿の狂歌絵本『絵本江戸爵(すずめ)』と、北尾政演(まさのぶ)の絵入狂歌本『吾妻曲(あずまぶり)狂歌文庫』である。狂歌絵本とは、浮世絵の中に狂歌を入れ込んだ本のことだ。狂歌師はこの時期、名前が知れ渡っていた。喜多川歌麿はその力によって浮世師としての評判を得ていった。
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