「てめえ、誰のおかげで……」「もっと薄く切れ」。初めて語られた身内しか知らない日常(聞き手・彭理恵)
今年は、私の叔父、池波正太郎が大正12(1923)年1月に東京・浅草の聖天町(しょうでんちょう)(現在の浅草七丁目あたり)で生まれてから、ちょうど100年です。
ちなみに池波正太郎というのは筆名ではなく本名です。67歳で亡くなったのは1990年ですが、いまも『鬼平犯科帳』をはじめ、『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』などの作品は、多くの方が読んでくださっています。
私は池波正太郎を「おじちゃん」と呼んでいました。おじちゃんの作品が、時代を超えて愛されるのは、身内の者として本当にありがたいことです。これまで私は、ほとんど表に出ることはありませんでしたが、この節目の年に、文藝春秋で叔父の担当を長く務めてくれた彭(ほう)理恵さんを相手に、私が見た叔父の素顔をお話しすることにしました。
まず、私と池波との関係からご説明しましょう。初めて会ったのは5歳のとき。私は昭和20(1945)年の生まれなので、昭和25年のことです。このとき池波は27歳。私の母の妹、片岡豊子と結婚したいというので、東京・王子にあった私の実家へ来たのです。池波の母である鈴さんも一緒でした。
ところが、この顔合わせは大変なことになりました。豊子の母、つまり私の祖母が、「どこの誰とも分からない男とは結婚させない」と、この結婚に反対したからです。女手ひとつで育てられた池波は、家計に余裕がなく、小学校を卒業してすぐに働き始めています。この頃は東京都の職員として台東区役所でDDTの散布をしていましたが、その仕事もいつまであるのか分からないと、祖母は不安だったのでしょう。
それを聞いた池波はものすごく怒りましたね。すき焼きを用意していたのですが、火鉢の上のお鍋をひっくり返し、「豊子、帰ろう」と言い捨てて帰ってしまった。火鉢の灰がもうもうと舞い上がった光景を今も鮮明に覚えています。「ああ、お肉が……」と(笑)。
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source : 文藝春秋 2023年5月号