廃藩置県を敢行したからこそ明治維新は成功したと思うのだが、あれだって、薩摩と長州の下級武士七人が偶然に集まった席で「やっちゃおうぜ」となったからやれたことではない。一年以上も前から情況は動き始めていたのである。諸藩の版籍奉還は進む一方であったし、藩主をその藩の知事に任命する動きも決まりつつあったのだから。つまり、この形での「公武合体」を、ほとんどの人が模索していた。ところがこれに薩摩が欠けている。最強の藩ゆえ新政府も放っておけない。大久保利通が鹿児島に帰ったのも、この薩摩の実権者である島津久光に新政府への参加を承諾させるためであった。
久光は、バカ殿の多かった当時でも並のバカ殿ではない。ゆえに大久保たちの動きが結局は諸藩の権力基盤を崩すものに向うことを察知している。本心ならば門前払いを喰らわせたかったところだろうが、政府から正式に送られてきた人ゆえそれはできない。で、会うのは会ったのだが、もはや薩摩藩の藩士ではなく新政府の高官になっている大久保は、かっての主君である久光の前でも昔のように平伏はしない。それで腹立ちも表面化してしまう。下級藩士にすぎなかった三十歳の頃から大久保を取り立ててきたのは他の誰よりも自分で、その自分への義理は感じないのかと思うから腹も立ったのだろう。とはいえ義理には、「義」だけでなく「理(ことわり)」もふくまれるのだが、そのようなことは殿様育ちの久光には、無縁であったのかも。だが、この対決は多くのことをわからせてくれるので、直後に大久保が書いた日記を紹介したい。
「(会って話しているうちに)段々と激論と相成り、(久光公の)御真意は十分に拝承できた。つまるところ、門閥の件や知藩事のことなどとてもお気持ちが収まりそうな見込みはなく、新しい政治制度には格別御不平たらたらで実に愕然とするばかり。私の考えは忌憚なく曲直を明らかにして名分を正して言上に及んだが、聞く耳をお持ちでないとのことで止むを得ず引き下がった。
ああ、今日のこのことは、何の因縁であるか思い当る節が無い。熟考するに、どれだけにじり寄って忠言申し上げても、ただただ遁辞を述べられるばかりでどうしようもない。今のところは召し置かれておいたほうがよろしかろう。過激な動きに出る見込みは無いので、いったん退いた」
大久保はこの時点で早くも、旧藩主たちも新政府に参加させる形での「公武合体策」を、捨てたのではないかと思う。しかし、藩主たちは捨て置いても、捨て置くことはできない人物がいた。西郷隆盛である。久光が怒り狂っているのを知った西郷が、彼も「義理」を「義」としてしか考えないので、動揺し始めたのだった。
ここから西郷隆盛を完全に取りこむ作戦が始まる。この作戦には、「理」の人であった木戸孝允も異論はなかったろう。この想像の根拠は、公武合体をきっぱりと捨てたうえでの廃藩置県の強行に際しての、薩摩側の人選にも見られるのだ。密議に参加したのは薩長合わせて七人だが、その中の二人は二十代と、他の五人と比べて若い。西郷従道と大山巌の二人。従道は隆盛の実弟で大山巌も親族筋。西郷隆盛には身内の若い者にヨワイところがあった。
だがなぜこれまでして西郷を取り込む必要があったのか。隆盛には人望があったのだ。この場合の人望とは、あの人が入っていれば何となく納得する、というものだが、大久保や木戸にはそれはない。ところがその西郷は、鹿児島に帰省中に久光が怒っていることを知る。理よりも義の人であった西郷は旧主君の要求を入れて、薩摩藩の不利になることは絶対にしないと約束してしまっていたのだ。久光との関係ならば、西郷よりも大久保のほうが、長く密であったにもかかわらず、である。
有料会員になると、この記事の続きをお読みいただけます。
記事もオンライン番組もすべて見放題
初月300円で今すぐ新規登録!
初回登録は初月300円
月額プラン
1ヶ月更新
1,200円/月
初回登録は初月300円
※2カ月目以降は通常価格で自動更新となります。
年額プラン
10,800円一括払い・1年更新
900円/月
1年分一括のお支払いとなります。
※トートバッグ付き
有料会員になると…
日本を代表する各界の著名人がホンネを語る
創刊100年の雑誌「文藝春秋」の全記事、全オンライン番組が見放題!
- 最新記事が発売前に読める
- 毎月10本配信のオンライン番組が視聴可能
- 編集長による記事解説ニュースレターを配信
- 過去10年6,000本以上の記事アーカイブが読み放題
- 電子版オリジナル記事が読める
source : 文藝春秋 2024年6月号