以前にこの欄で書いた理由からもローマでの私の一日は、書見台上に載せてある北斎の版画を一枚めくることから始まる。それをつづけているうちに、葛飾北斎とはどんな時代に生きた人なのかを知りたくなった。一七六〇年に生れて一八四九年に死んでいるから、幕末に生き、そして死んだ人であったということになる。それで、北斎が八八歳で世を去った年に、幕末・維新の立役者たちは何歳になっていたのかも調べてみたのだった。
岩倉具視、二三歳
西郷隆盛、二一歳
大久保利通、一八歳
木戸孝允、一五歳
坂本竜馬、一三歳
近藤 勇、一四歳
土方歳三、一三歳
勝 海舟、二六歳
徳川慶喜、一一歳
伊藤博文、七歳
明治天皇、マイナス三歳
そして、これより十八年しか過ぎていない一八六七年、大政奉還によって徳川幕府そのものが滅亡してしまうのである。
これまでに私も歴史上の男たちを多く書いてきたが、共感はしても「かわいそう」と思ったことはなかった。カエサルのように暗殺されたり、皇帝フリードリッヒ二世のように領国を失ったりして、彼らの多くは悲劇的な最期を遂げはした。しかし、彼らが生前に成した業績は、彼らの死の後もつづけられたのだ。それなのに『燃えよ剣』を読んでいくうちにわいてきた想いは、土方歳三ってかわいそう、でしかなかった。大久保利通だって、「かわいそう」とは思わなかったのに。
新選組とは、旗本八万騎も昔の夢、と言って幕府派の会津藩の士族でも手に負えないまでに台頭してきた反幕府勢力を押さえこむための、言ってみれば汚れ役をさせるためだけに作られた組織である。
「新選組」という名からして皮肉に聴こえるくらい。今これを書いている時点、二〇二三年の時点で私の頭に浮んできたのは、プーチンが活用してきたワグネル。要するに、正規社員はもはや能力なし、非正規も頼みにはならず、となった幕府が傭った業務委託が、「新たに選ばれた組」なのである。その幕府の眼が、町道場に向けられたのも当然だろう。
ところがその眼は、町道場ならばそのすべてに向けられたのではない。幕末の江戸で有名だった道場は三つあり、千葉道場と桃井道場と斎藤道場。いずれも、今でいう都心に大道場をかまえている。千葉道場の塾頭は坂本竜馬。斎藤道場の塾頭は桂小五郎。一方、当時ならば都心からは遠い田舎にあった小規模道場が近藤勇道場で、ここの塾頭が土方歳三。汚れ役を託す先を探していた幕府が眼をつけたのは、前者ではなくて後者であった。なぜ?
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source : 文藝春秋 2023年12月号