日本には昔からあるこの格言を、私個人は次のように考えることにしている。
はじめから不善を為すとわかっていてそれを実行する人はまずいない、ただ、「何もしない」だけなのだと。何かを成そうとすればそれなりのエネルギーは必要になるし結果への責任もかかってくるが、上から命じられたことだけをやっているかぎり、そのためのエネルギーは不要だし責任も問われないからである。ただしこのやり方くらい「不善」につながってくることもないのだが、当人もその周囲も上司までもが、その害に気づいていないのが今の日本。
私の考えている二つ目は、誰にも一生に一度は訪れる転機についてである。この場合は小人でも大人でもちがいはなく、それによる差は、転機が訪れたことをいち早く感知し、それをどう活用するかで生じてくる。
大久保利通に最初の転機が訪れたのは、彼が島津藩の最下層の役職に任命された三十歳の年であった。当時はまだ封建社会で、下級武士もいいところの彼には、いかにアイデアはあっても主君とは、次の間に平伏したままの姿で家老の“通訳”があってはじめて接することが可能という時代であったのだ。
それで三十歳の下級武士は、島津藩第一の権力者である久光に近づく策を考える。それは、碁卓を前に二人だけで向き合う間柄になること。戦術も考えた。打つのはあくまでも、品格の高い碁でなければならない、と。ゴチゴチの保守だがバカではない久光なので、わざと負けてくれた碁だとわかってしまうのだ。その結果、勝っても負けても機嫌が悪くなる。ところが十三歳年下の大久保が相手だと、勝てば上機嫌、負けても不機嫌にはならない。それどころか碁が打ちたくなるたびに、「一(いち、一蔵)を呼べ」ということになってしまった。
まったく、その頃からの八年ほどの間の大久保は、久光とはべったりと言ってよい関係がつづく。島流しにされていた西郷隆盛を呼びもどしてくれと久光に頼んだのも、この時期であったよう。
大久保とは、脱藩などには訴えることなくかえって藩そのものを活用した、「大ワル」である。ただしこの人も、案件を持ちこむ側から持ちこまれる側になったときからは再度脱皮する。順天堂関係の医師であった佐藤進の証言から。
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