木戸と大久保

日本人へ 第251回

塩野 七生 作家・在イタリア

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 今回は、『坂の上の雲』の読後感を書くつもりだったが、それはひとまず措くとして、前回の私の小文を読んだ人から寄せられた質問に答えることにしたい。それは司馬遼太郎による大久保利通評の最後の部分への質問なのだが、もう一度引用するとこうなる。

〈ひとびとが大久保を重んじて案件のほとんどをかれのもとに持ちこむか、かれの承諾をえるか、いずれかでありましたので、かれは事実上の宰相でした。それ以上でした〉

 私に疑問を寄せた人は言う。これでは学者たちの言うように、大久保のやり方は独裁ではないか、と。私自身は、独裁イコール悪、とは考えていない。時と場合によっては独裁も可、とさえ思っているので。だから、独裁と言われてもその内実はどうであったのか、を知るほうが先になる。

 案件を持ちこむ人とは日本のために何を成すべきかの考えを持っている人であって、持ちこむ先とはそれを実現できる地位なり力なりを持っている人のことである。西郷下野後の日本政府では、二人をあげることができた。木戸孝允と大久保利通。桂小五郎の名のほうが好きな木戸孝允だが、この人は西南の役の結果も見ないで病死してしまう。しかし先見の明ということならば、若い頃から鋭く深い政略(ストラテジー)の持主であった。廃藩置県の強行も、ときには足踏みをしがちな大久保の背を押す感じの木戸と、理(ことわり)さえ充分ならばそれに平然と乗った大久保の二人の作品(オペラ)ではなかったか、と思うくらい。

 だが木戸には、欠点もあった。一言で言えば桂小五郎時代と変わらない書生っぽさ。政府の重職に就いていながら気に入らないことがあると、病気を理由にさっさと下野してしまう。そのたびに大久保は連れもどしに行くのだが、西郷とちがって木戸の連れもどしは、常に成功であったよう。この二人の考えが基本的には同じだったからだろう。

 この木戸だから、案件を持ってきた人々への対応も桂小五郎()になってしまう。アポを取って会いに行く時代ではなかったので、案件の持ちこみも常に不意討ち。木戸のほうも誰とでも、寝室でもかまわずに会う。ところが木戸は、案件の説明の途中でも口をはさんでくる。もともとからしてアイデアいっぱいの男なので、こう変えてはどうかなどと、彼自身の考えをやたらと口にし始める。そのうちに、持ちこんだ案件の内容もいつのまにか木戸色の濃厚なものに変わってしまう。それで自然に、案件を持ちこむ人々の足も遠のくというわけ。四十代に入ってもこれだから、案件の持ちこみ先としてはちょっと、とは思うけれど、男の経験ならば人後に落ちない女の中の女に愛されたのも、この書生っぽさにあったのかも。

 それで大久保利通の場合だが、こちらも不意討ちでは同じなのに、大久保のほうが不意討ちにさせない。私宅に来られても平然と待たせる。待たせている間に彼は身支度を整える。そして、私宅でもきちんと袴(はかま)をつけて客間に現われ、背筋をのばして正座し、ていねいな言葉使いで客に対する。言葉使いがていねいなのは、客人との間に適切な距離を置くための戦術。言葉とは実に有効な武器で、「あなた」と呼びかけるか「きみ」と呼ぶかで、自然に「適切な距離」が出来てしまうものなのだ。

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source : 文藝春秋 2024年9月号

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