斎藤が「正直にいうと……」とこの時のことを振り返る。
「この瞬間までは、まあ十中八九、大きな犬かなんか、見間違いだろうな、と思っていました。でもこの一言ですべてが吹っ飛んだ」
人間の生活圏のど真ん中に突如現れたヒグマが、4人に重軽傷を負わせた「札幌市東区ヒグマ襲撃事件」は、こうして幕を開けた——。
史上最悪の死傷者数
2021年は、ヒグマと人間社会との歴史において、特筆されるべき年となった。統計が残る1962年以来、ヒグマによる死傷者が史上最悪となる12人(死亡4人・重傷6人・軽傷2人)に達したのである。ヒグマの保護管理に関わる調査・研究を行っている「北海道立総合研究機構(以下・道総研)」による現地調査に基づいて道が発表した資料や報道をもとに、死亡事故の状況をまとめると以下のようになる。
(1)道東・厚岸町の事故
4月10日午前10時40分ごろ、厚岸町の山林で、夫婦で山菜採りをしていた60歳の男性がクマと遭遇し、頭部に損傷を受け死亡。現場近くで冬眠穴と立ち木に挟まった子熊の死骸が発見されたことから、動けなくなった子熊を「守る」ために母熊が襲ったと考えられる。男性は妻より100メートル以上先行していた。
(2)道南・福島町の事故
7月1日朝、福島町に住む77歳の女性が農作業のために畑に向かったまま行方不明となり、翌日、畑に隣接したスギ林の近くで遺体となって発見された。遺体には激しい損傷があり、付近に繁茂するササなどがかけられていた。
(3)道北・滝上町の事故
7月12日午前11時30分ごろ(推定)、神奈川県から観光で訪れた69歳の女性が、浮島湿原に向かう林道上を1人で歩いていたところクマに襲われ死亡。現場は左にカーブする屈曲点で見通しが悪く、人間とクマがお互いに気づかず“出会い頭”で遭遇した可能性が高い。
(4)道央・夕張市の事故
11月24日、「山に行く」と猟に出かけた53歳の男性ハンターが戻らず、翌日、警察によって遺体で発見された。遺体にはクマによると見られるひっかき傷や咬傷があり、遺体近くからは猟銃の他にクマの血痕も見つかった。
※本記事の全文(約9200字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(伊藤秀倫「札幌四人襲撃事件」)。この記事は全3回連載の第1回です。
■伊藤秀倫「羆を撃つ」
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