しかし、やがてべん造とある夜道の散策を行い、宿に戻ってきた彼女の顔は、これまでとは打って変わったすがすがしさに満ちており、「久しぶりに楽しいと思いました」と口にする。そしてテンション高めに、べん造に次々と言葉を投げかける彼女の姿は、作中でもっとも雄弁で、もっとも生気に満ちている、これこそが「円環」だが、このように、それぞれに光を放つ前半/後半で感情の浮沈が繰り返し描かれることで、李の「再生」はより重層的な、説得力を帯びたものともなるのである。

©2025『旅と日々』製作委員会

三宅唱作品の「螺旋階段」

 本作における「円環」とは、たんなるギミックの問題ではない。生きる中では、何かを言葉にすることを積極的に選ぶこともあれば、言葉にすることから距離を置くこともあるし、ちょっとしたことで感情が沈んだり、また普段より明るくなることもある。誰かの死に触れることもあれば、誰かの生が醸成するあたたかみに触れることもあるだろう。いわば円環とは、人の生と不可分なものであり、おそらくは人の生を描く上で、「円環」こそが三宅唱に必要な存在であったのだ。 

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 振り返れば、こうした「円環」の構図は、三宅作品のなかにしばしば現れる構図でもあった。初期作『Playback』(2012)においては、俳優の男が現在と高校時代の過去を往還し、さまざまな「反復」があらわれるという物語において、人物が行き来する螺旋階段が作品の世界観を象徴するような存在感を放っていたし、男女3人が永遠に思えるようなひと夏を過ごす『きみの鳥はうたえる』(2018)においても、螺旋階段はまた印象的に登場する。

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 また前作『夜明けのすべて』(2024)では、「円環」は夜と朝、また月経の周期によってあらわれる。重度のPMS(月経前症候群)とパニック障害という、それぞれ問題を抱えた男女が、いくつもの夜と朝、また月経という「円環」を経て、しだいに心の明るさを取り戻していく過程が描かれるのである。