トロント・ブルージェイズとの全7戦に及んだ激戦を制して世界一に輝いてから3日後の11月4日夜(現地時間)、興奮冷めやらぬ中での独占インタビューに応じた山本由伸投手。「週刊文春 電子版」では前編とあわせて9000字に及んだ60分インタビューを配信している。本記事では、ワールドシリーズでの中0日登板を実現させたトレーナー・矢田修氏との歩みを語ったパートを抜粋してお届けする。

本拠地で行われた世界一報告イベントでの山本投手 ©︎時事通信社

 11月1日のワールドシリーズ(WS)第7戦で歓喜の瞬間を迎えた山本とドジャース。2日連続の登板で最後を締めた山本だが、その活躍は決して根性論では語れない。MLBのデータ解析システムを担当するデビッド・アドラー氏のXによれば、最終戦の山本はスプリット、カット、4シーム(直球)、カーブ、シンカーの5球種全てで、それまでよりも球速がアップしており、特に4シームは平均96.9マイル(約156キロ)と、従前より2キロ以上も速くなっていたのだ。ここから、さらに深掘りして、どうしてそのような、常識外れの投球が可能になったのかを聞いた。

矢田氏との二人三脚で世界一のマウンドに立ってみせた山本 ©時事通信社

「変わったことをしている」理解が得られなかった時期も

――プロ1年目は、1試合登板したら、腕がパンパンで、次の登板まで10日以上開けており、連投なんて考えられなかったそうですね。そこから19歳で出会った矢田先生とともに、身体をフルモデルチェンジさせてきた、と。記者会見でも、「矢田修のすごさを証明できた」と語っていました。

「そうですね。高校を卒業して19歳の時に初めてプロで投げて。一軍相手に投げると、腕は毎回パンパンに張ってしまって。先輩たちが中6日でローテーションを回している姿を見ても、自分がその中に入れるなんて全く想像できなかった。そんな中で、コーチやスタッフだけでなく、病院の先生とか、いろんな方に身体の悩みを相談して、アドバイスをいただきました。そうした多くの出会いの中で、一番ピンと来たのが、矢田先生と話をさせていただいた時だったんです。この人に教わったら、いけそうな気がする、と。それから8年間ずっと、指導してもらってきた。でも球界のノーマルなやり方とは違うので、『変わったことをしている奴だ』と言われたり、色々ありました。モデルチェンジを始めた当初はフォームも全然まとまらなかったですし。でも今のままやっていてもダメだと思って、19歳の僕はそういう決断をしたんで」

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この続きおよびインタビュー前編では、「ワールドシリーズの舞台裏」「中0日登板の立役者となったトレーナー」「大谷翔平&佐々木朗希」「WBC」について本人が赤裸々に明かしている。9000字インタビューの記事全文は「週刊文春 電子版」で読むことができる〉

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