「聞いたことのないメーカー」のシューズが、常識を変えた
「ぼくが大学生だった2000年代前半、フィギュアスケート靴といったら、ものすごく重くて硬いものでした。というのも牛革を何層も重ね、モノによっては鉄をはさむなどして、強さを出していたからです」
強さを出すために革を何層も重ねると、当然重くなります。ではなぜ、フィギュアスケート靴は強くなければいけないのでしょう。それは一見華麗に見えるフィギュアスケートが、体にとても負担のかかるスポーツだからです。ジャンプをして着氷する瞬間に生まれる衝撃は、なんと体重の5倍から8倍といいます。分厚く頑丈なシューズでなければ、これだけの衝撃に耐えることができないのです。
「触ってもらうとわかると思いますよ」
そういって、櫻井さんが仕事場で触らせてくれたスケート靴は硬くて重く、まるで工事現場で働く人たちが履く作業靴のようでした。野球のグローブがそうであるように、革の用具は最初は硬いので実戦で使えるようにするには、ある程度時間をかけて馴染ませていかなければいけません。フィギュアスケート靴も例外ではありません。
「自分より上の世代の選手は、フィギュアスケート靴は革のイメージがあって、硬いもんだと思っている。最初は硬いから、履くと痛い。でも新品を買ったときは、それがむしろうれしくて、痛いなあ、痛いなあと硬さを味わいながら滑るんです。実際、革のスケート靴は馴染ませるのに1、2週間はかかります」
ところが櫻井さんが大学4年生のとき、スケート靴は硬くて重いものという常識をくつがえす靴が出現します。
「聞いたことのないメーカーから、ちょっと変わったスケート靴が出てきたので履きませんかと。でも、ぼくは試しませんでした。というのも卒業間近だったからです。大学で競技を終えるつもりだったので、わざわざ慣れないスケート靴に替える必要がなかったからです。ぼくだけじゃなく、周りの選手も試さなかったですね。ほとんど見向きもしなかったと思います」
この新しいフィギュアスケート靴はイタリア産、『エデア』というメーカーのものでした。そして、櫻井さんの大学でほとんど相手にされなかったエデアの靴は、瞬く間にフィギュアスケート界を席巻してしまったのです。
