銃撃部隊を率いたフランク・ヘイマーは、彼らがバロウ・ギャングのメンバーの自宅を転々としながら逃亡生活を続けていることを事前に察知。次に向かうのはヘンリーの家であると確信し、彼の父親に、息子の命を救う見返りにボニーとクライドを罠にはめるための囮になるよう依頼していたのだ。

 2人の死後、現場には多くの野次馬が押し寄せ、警察では抑えきれないほどの騒ぎに発展。金品や衣服を盗む者、遺体から髪の毛や耳を切り落とそうとする者まで現れた。そして、2人の最期を報じた新聞は50万部を売り上げ、ボニーの葬儀には約2万人、クライドの葬儀にも1万人以上が遺体を一目見ようと集まった。

凶悪犯罪者ながら多くのファンを魅了

 凶悪犯罪者でありながら、金持ちに狙いを定め貧乏人からは巻き上げない「義賊的な姿勢」で多くの共感を得たボニーとクライドは今もアメリカ国民の記憶に残り続けている。それを証明するかのように、クライドの墓石には「この世を去ろうとも忘れ去られることはない」と刻まれている。

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 ちなみに、1970年代半ばに全米で少なくとも30人以上の女性を殺害したテッド・バンディは、その見た目の良さから多くの女性ファンを生み、収監中にも数百のラブレターを受け取ったとされているが、こうした凶悪犯罪者に魅了される「ハイブリストフィリア(犯罪性愛)」の最初の例がボニーとクライドで、大衆文化においては「ボニーとクライド症候群」とも呼ばれている。

 クライドの兄バックの妻ブランチは保安官殺害を目的とした暴行罪で6年間服役した後、1939年に釈放。1940年、29歳のときに再婚し1988年12月に肺がんにより他界した(享年77)。

 映画「俺たちに明日はない」で彼女を演じたエステル・パーソンズが1967年度のアカデミー賞最優秀助演女優賞を受賞したものの、劇中でヒステリックなキャラに改変されたことに死ぬまで不満を抱き続けていたそうだ。